大和物語 ====== 第157段 下野の国に男女住みわたりけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 下野の国に、男・女住みわたりけり。年ごろ住みけるほどに、男、妻(め)まうけて、心変り果てて、この家にありける物どもを、今の妻のがり、かき払ひ運び行く。「心憂し」と思へど、なほまかせて見けり。塵(ちり)ばかりの物も残さず、みな持(も)て往(い)ぬ。 ただ残りたるものは、馬舟(うまぶね)のみなんありける。それを、この男の従者、「まかぢ」といひける童を使ひけるして、この舟をさへ取りにおこせたり。 この童に女の言ひける。「なむぢも今はここに見えじかし」など言ひければ、「などてか、さぶらはざらん。主(ぬし)おはせずとも、さぶらひなん」など言ひたてり。女、「主に消息聞こえんは。申してんや。文(ふみ)はよに見給はじ。ただ言葉にて申せよ」と言ひければ、「いとよく申してん」と言ひければ、かく言ひける、   「『舟も往ぬまかぢも見えじ今日よりは憂き世の中をいかで渡らん』 と申せ」と言ひければ、男に、「かく」と言ひければ、物かきふるひ去(い)にし男なん、しかしながら運び返して、もとのごとく、あからめもせで、添ひゐにける。 ===== 翻刻 ===== しもつけのくににおとこ女すみわたり けりとしころすみけるほとにおとこ めまうけてこころかはりはててこの いへにありけるものともをいまのめ のかりかきはらひはこひいくこころ うしとおもへとなをまかせてみけり ちりはかりのものものこさすみな もていぬたたのこりたるものはむま/d59r ふねのみなんありけるそれをこの おとこのすさまかちといひけるわらは をつかひけるしてこのふねをさへとり におこせたりこのわらはに女のいひける なむちもいまはここにみえしかしなと いひけれはなとてかさふらはさらんぬし おはせすともさふらひなんなといひ たてり女ぬしにせうそこきこえん は申てんやふみはよにみたまはし たたことはにて申よといひけれは いとよく申てんといひけれはかくいひ/d59l ける ふねもいぬまかちもみえしけふよ りはうきよのなかをいかてわたらん と申せといひけれはおとこにかくと いひけれはものかきふるひいにしおと こなんしかしなからはこひかへして もとのことくあからめもせてそい ゐにける/d60r