大和物語 ====== 第156段 信濃の国に更級といふ所に男住みけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 信濃の国に、更級(さらしな)といふ所に、男住みけり。若き時に親は死にければ、をばなん親のごとくに、若くよりあひ添ひてあるに((底本「に」虫損。諸本により補入))、この妻(め)の心、いと心憂きことに思えて、この姑(しうとめ)の老い((「老い」底本、「□ひ」で「お」を虫損。諸本により補う。))かがまりて居たるを、つねに憎みつつ、男にも、をばのみ心のさがなく悪しきことを言ひ聞かせければ、昔のごとくにあらず、おろかなること多く、このをばのためになりゆきけり。 このをば、いといたう老いて、二重にて居たり。これをなほ、この嫁、ところせがりて、「今まで死なぬこと」と思ひて、良からぬことを言ひて、「持ていまして、深き山に捨て給ひてよ」とのみ責めければ、責められわびて、「さしてん」と思ひなりぬ。 月のいと明かき夜、「嫗(おうな)ども、いざ給へ。寺に貴きわざする、見せ奉らん」と言ひければ、かぎりなく喜びて、負はれにけり。高き山の麓(ふもと)に住みければ、その山に、はるばると入りて、かぎりなく高き山の峰の、下り来べくもあらぬに置きて、逃げて来ぬ。「やや」と言へど、いらへもせで、逃げて、家に来て、思ひをるに、言ひ腹立てける折は、腹立ちて、かくしつれど、年ごろ親のごと養ひつつ、あひ添ひてければ、いと悲しく思えけり。 この山の上(かみ)より、月もいとかぎりなく明かくて出でたるを眺めて、夜一夜(よひとよ)いも寝られず、悲しく思えければ、かく詠みたりける。   わが心なぐさめかねつ更級や姨捨山(をばすてやま)に照る月を見て と詠みてなん、また行きて迎へ持て来にける。それよりなん、姨捨山といひける。「なぐさめがたし」とは、これがよしになんありける。 ===== 翻刻 ===== しなののくににさらしなといふと ころにおとこすみけりわかき時 におやはしにけれはをはなんおやのこ とくにわかくよりあひそひてある □このめのこころいとこころうき/d57r ことにおほえてこのしうとめの□ひ かかまりてゐたるをつねににくみ つつおとこにもおはのみこころのさか なくあしきことをいひきかせけれ はむかしのことくにあらすおろかなる ことおほくこのをはのためになり ゆきけりこのをはいといたうおひ てふたへにてゐたりこれをなを このよめところせかりていままて しなぬこととおもひてよからぬことを いひてもていましてふかきやまにす/d57l てたまひてよとのみせめけれはせめられ わひてさしてんとおもひなりぬ月の いとあかきよおうなともいさ給へてら にたうときわさするみせたてまつ らんといひけれはかきりなくよろこひ ておはれにけりたかきやまのふも とにすみけれはそのやまにはるはると いりてかきりなくたかきやまのみ ねのをりくへくもあらぬにおきて にけてきぬややといへといらへもせて にけていへにきておもひをるにいひ/d58r はらたてけるをりははらたちて かくしつれととしころをやのことや しなひつつあひそひてけれはいとかな しくおほえけりこのやまのかみよ り月もいとかきりなくあかくてい てたるをなかめてよひとよいも ねられすかなしくおほえけれはかく よみたりける わかこころなくさめかねつさらし なやをはすてやまにてる月をみて とよみてなんまたいきてむかへもてき/d58l にけるそれよりなんおはすてやまと いひけるなくさめかたしとはこれか よしになんありける/d59r