大和物語 ====== 第149段 昔大和の国葛城の郡に住む男女ありけりこの女顔形いときよらなり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 昔、大和の国葛城の郡(こほり)に住む、男・女ありけり。この女、顔・形、いときよらなり。 年ごろ思ひかはして住むに、 この女、いとわろくなりにければ、男わづらひて、かぎりなく思ひながら、妻(め)をまうけてけり。この今の妻は富みたる女になんありける。ことに思はねど、行けばいみじくいたはり、身の装束(さうぞく)もいときよらかにせさせけり。 かくにぎにぎしき所にならひて、来たれば、この女いとわろげにて居て、かくほかに歩(あり)けど、さらに妬(ねた)げにも見えずなどあれば、いとあはれと思ひけり。心には、「かぎりなく妬く、心憂し」と思ふを、忍ぶるになんありける。 「留まりなん」と思ふ夜(よ)も、なほ、「往ね」と言ひければ、わがかく歩(あり)きするを妬まで、異(こと)わざするにやあらん。さるわざせずは、恨むることもありなん」など、心の内に思ひけり。 さて、出でて行くと見えて、前栽の中に隠れ居て、「男や来る」と見れば、端(はし)に出で居て、月のいと白くおもしろきに、頭(かしら)かいけづりなどしてをり。夜更くるまで寝ず。いといたう歎きて、ながめければ、「人待つなめり」と見るに、使ふ人の前なりけるに言ひける。   風吹けば沖つ白波立田山夜半にも君が一人越ゆらん と詠みければ、「わがかうへを思ふなりけり」と思ふに、いとかなしくなりぬ。この今の妻の家は、立田山((龍田山))越えて行く道になんありける。 かくて、なほ見をりければ、この女うち泣きて、臥して、鋺(かなまり)に水を入れて、胸になん据ゑたりける。「あやし、いかにするにかあらん」とて、なほ見る。されば、この水、熱湯(あつゆ)にたぎりぬれば、湯捨(ふ)てつ。また水を入る。 見るに、いとかなしくて、走り出でて、「いかなる心地し給へば、かくはしたまふぞ」と問ひて、かき抱(いだ)きてなん寝にけり。かくて、ほかへもさらに行かで、つと居たりけり。 かくて、月日を多く経て、思ひやるやう、「つれなき顔なれど、女の思ふことは、いといみじきことなりけるを、かく行かぬをいかに思ふらむ」と思ひ出でて、ありし女のがり行きたりけり。久しく行かざりければ、つつましくて立てりけり。 さて、かいまのめば、われにはよく見えしかど、いとあやしきさまなる衣(きぬ)を着て、大櫛(おほぐし)を面櫛(つらぐし)にさしかけてをり、手づから飯盛(いひも)りをりけり。 「いみじ」と思ひて、来にけるままに、行かずなりにけり。この男は王(おほきみ)なりけり。 ===== 翻刻 ===== むかしやまとのくにかつらきのこを りにすむおとこ女ありけりこの女か をかたちいときよらなりとしころ おもひかはしてすむにこの女いと わろくなりにけれはおとこわつらひ てかきりなくおもひなからめをま うけてけりこのいまのめはとみた る女になんありけることにおもはね といけはいみしくいたはり身の さうそくもいときよらかにせさせ/d48r けりかくにきにきしきところになら ひてきたれはこの女いとわろけにて ゐてかくほかにありけとさらにねた けにもみえすなとあれはいとあはれと おもひけりこころにはかきりなく ねたくこころうしとおもふをしの ふるになんありけるととまりなん とおもふよもなをいねといひけれは わかかくありきするをねたまて ことわさするにやあらんさるわさ せすはうらむることもありなん/d48l なとこころのうちにおもひけりさて いてていくとみえてせむさいのなかに かくれゐておとこやくるとみれは はしにいてゐて月のいとしろくおもしろき にかしらかいけつりなとしてをり 夜ふくるまてねすいといたうなけ きてなかめけれは人まつなめ りとみるにつかふひとのまへなりけ るにいひける かせふけはをきつしらなみたつ たやまよはにも(やイ)きみかひとりこゆらん/d49r とよみけれはわかうへをおもふなり けりとおもふにいとかなしくなりぬ このいまのめのいへはたつたやまこえて ゆく道(所)になんありけるかくてなを みをりけれはこの女うちなきてふ してか□まりにみつをいれてむね になんすえたりけるあやしいかにす るにかあらんとてなをみるされはこの みつあつゆにたきりぬれはゆふて つまたみつをいるみるにいとかなしくて はしりいてていかなる心ちし給へはかくは/d49l したまふそととひてかきいたきて なんねにけりかくてほかへもさらにいか てつといたりけりかくて月日をおほく へておもひやるやうつれなきかほな れと女のおもふことはいといみしきこと なりけるをかくいかぬをいかにおもふ らむとおもひいててありし女のかり いきたりけりひさしくいかさりけ れはつつましくてたてりけり さてかいまの(イ無)めはわれにはよく(てイ)みえし かといとあやしきさまなるきぬを/d50r きておほくしをつらくしにさし かけてをり手つからいひもりをりけりいみしと思ひてきにけるままにいか すなりにけりこのおとこはおほき みなりけり/d50l