大和物語 ====== 第125段 泉大将故右の大臣に詣で給ひけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 泉大将((藤原定国))、故右の大臣(おとど)((諸本「左の大臣」。藤原時平))に詣で給ひけり。ほかにて酒などまゐり、酔(ゑ)ひて、夜いたく更けて、ゆくりもなくものし給へり。 大臣(おとど)、驚き給ひて、「いづこにものしたまへる便りにかあらん」など聞こえ給ひて、御格子上げ騒ぐに、壬生忠岑((底本「壬峯忠峯」。誤写とみて訂正。))御供にあり。御階(はし)のもとに((底本「に」字磨滅。諸本により補入。))、松ともしながら、ひざまづきて、御消息申す。   「かささぎの渡せる橋の霜の上を夜半に踏み分けことさらにこそ となんのたまふ」と申す。 あるじの大臣、「いとあはれに、をかし」と思して、その夜一夜、大御酒(おほみき)まゐり、遊び給ひて、大将も物かづき、忠岑も禄給はりなどしけり。 この忠岑がむすめありと聞きて、ある人なん、「得む」と言ひけるを、「いと良きことなり」と言ひけり。男のもとより、「かの頼め給ひしこと、このごろのほどにと思ふ」となん言へりける返り事に、   わが宿のひとむら薄(すすき)うら若み結び時にはまだしかりけり となん詠みたりける。まことに、まだいと小さきむすめになんありける。 ===== 翻刻 ===== 定国大納言右大将延喜六年七月三日薨四十 泉大将こみきのおととにまうてたま ひけりほかにてさけなとまいりゑひて 夜いたくふけてゆくりもなくもの したまへりおととをとろきたまひ ていつこにものしたまえるたよりにか あらんなときこえ給て御かうしあ けさはくに壬峯忠峯御ともにあり御 はしのもと□松ともしなからひさまつ きて御せうそこ申 かささきのわたせるはしのしもの/d17l うへをよはにふみわけことさらにこそ となんのたまふと申あるしのおとと いとあはれにをかしとおほしてそのよ 一夜おほみきまいりあそひたまひて 大将も物かつきたたみねもろく給はり なとしけりこのたたみねかむすめ ありとききてあるひとなんえむと いひけるをいとよきことなりといひ けりおとこのもとよりかのたのめ給 しことこのころのほとにとおもふとなん いへりけるかへり事に/d18r わかやとのひとむらすすきうらわか 身むすひときにはまたしかりけり となんよみたりけるまことにまたいと ちゐさきむすめになんありける/d18l