大和物語 ====== 第124段 本院の北の方のまだ帥大納言の妻にていまそかりける折に・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 本院の北の方の((在原棟梁の娘。ここでは藤原時平の妻の意。))、まだ帥大納言((藤原国経))の妻(め)にていまそかりける折に、平中((平貞文))、詠みて聞こえける。   春の野にみどりにはえるさねかづらわが君ざねと頼むいかにぞ と言へりけり。かく言ひ言ひて、あひ契ることありけり。 そののち、左の大臣(おとど)((藤原時平))の北の方にて、ののしり給ひける時、詠みておこせたりける。   行く末の宿世も知らぬわが昔契りしことは思ほゆや君 となん言へりける。その返し、それよりも前々も、歌はいと多かりけれど、え聞かず。 ===== 翻刻 ===== 従五位上筑前守棟梁左衛門佐国経権中納言敦忠母 本院のきたのかたのまた帥大納言のめにて いまそかりけるをりに平中よみてきこえける/d16l 春の野にみとりにはえるさねか つら我きみさねとたのむいかにそ といへりけりかくいひいひてあひちきる ことありけりそののち左のおとと のきたのかたにてののしりたまひける ときよみておこせたりける ゆくすえのすくせもしらぬわかむ かしちきりしことはおもほゆや君 となんいへりけるそのかへし それよりもまへまへもうたはいとおほか りけれとえきかす/d17r