大和物語 ====== 第106段 故兵部卿の宮この女のかかることまだしかりける時よばひ給ひけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 故兵部卿の宮((陽成天皇皇子元良親王))、この女((平中興の女))のかかることまだしかりける時((中興の女が浄蔵と関係を持つ前。[[u_yamato105|15段]]参照))、よばひ給ひけり。 皇子、   荻の葉のそよぐごとにぞうらみつる風にうつりてつらき心を これも、同じ宮、   浅くこそ人は見るらめ関川の絶ゆる心はあらじとぞ思ふ 女の返事、   関川の岩間をくぐる水浅み絶えぬべくのみ見ゆる心を かくて、この女、出でてもの聞こえなんどはすれども、逢はでのみありければ、皇子、おはしましたりけるに、月のいと明かかりければ、詠み給ひける。   夜な夜なにいつも見しかどはかなくて入りにし月と言ひてやみなん とのたまひけり。 かくて、扇(あふぎ)を落し給へりけるを、取りて見れば、知らぬ女の手にて、かく書けり。   忘らるる身はわれからのあやまちになしてだにこそ君を恨みね と書けりけるを見て、その片端(かたはし)に書き付けて奉りける。   ゆゆしくも思ほゆるかな人ごとにうとまれにける世にこそありけれ となん。 また、この女、   忘らるるときはの山も音(ね)をぞなくあきの野虫の声に乱れて 返し、   なくなれどおぼつかなくぞ思ほゆる声聞くことの今はなければ また、同じ宮、   雲居にて世を経るころは五月雨(さみだれ)のあめの下にぞ生けるかひなき 返し、   ふればこそ声も雲居に聞こえけめいとどはるけき心地のみして ===== 翻刻 ===== なりにけりこひやうふきやうの みやこの女のかかることまたしかり けるときよはひたまひけり御こ おきの葉のそよくことにそうら みつるかせにうつりてつらき心を これもをなしみや/d8r あさくこそひとはみるらめせきか はのたゆるこころはあらしとそ思ふ かへし (女の返事)せきかはのいはまをくくるみつあ      さみたえぬへくのみみゆるこころを かくてこの女いててものきこえなんとは すれともあはてのみありけれは御こ おはしましたりけるに月のいとあか かりけれはよみ給ける よなよなにいつもみしかとはかなくて いりにし月といひてやみなん とのたまひけりかくてあふきををと/d8l したまえりけるをとりてみれはし らぬ女のてにてかくかけり わすらるる身はわれからのあやま ちになしてたにこそ君をうらみね とかけりけるをみてそのかたはしに かきつけてたてまつりける ゆゆしくもおもほゆるかなひとこと にうとまれにけるよにこそありけれ となん又この女 わすらるるときはのやまもねをそ なくあきの野むしのこゑにみたれて/d9r かへし なくなれとおほつかなくそおも ほゆるこゑきくことのいまはなけれは 又おなしみや 雲井にてよをふるころはさみた れのあめのしたにそいけるかひなき かへし ふれはこそこゑも雲井にきこへ けめいととはるけき心ちのみして/d9l