大和物語 ====== 第101段 同じ季縄の少将病にいたうわづらひて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 同じ季縄の少将((藤原季縄。[[u_yamato100|100段]]参照。))、病にいたうわづらひて、少しおこたりて、内裏(うち)に参りたりけり。 近江の守公忠の君((源公忠))、掃部(かもん)の助にて蔵人なりけるころなりけり。その掃部の助に会ひて、言ひけるやう、「乱り心地は、いまだおこたりはてねど、いとむつかしう、心もとなう侍ればなん、参りつる。のちは知らねど、かくまで侍ること。まかり出でて、明後日(あさて)ばかり参り来ん。よきに奏し給へ」など、言ひ置きて、まかり出でぬ。 三日ばかりありて、少将のもとより、文をなんおこせたりけるを見れば、   くやしくぞのちに会はんと契りける今日を限りと言はましものを とのみ書きたり。 いとあさましくて、涙をこぼして、使に問ふ。「いかがものし給ふ」と問へば、使も、「いと弱くなり給ひにたり」と言ひて泣くを、聞くに、さらにえ聞こえず。「みづから、ただ今参りて((底本「まいるて」。誤写とみて訂正。))」と言ひて、里に車取りにやりて待つほど、いと心もとなし。近衛の御門((陽明門))に出で立ちて、待ちつけて、乗りて馳せ行く。 五条にその少将の家あるに、行き着きて、見れば、いといみじく騒ぎののしりて、門々(かどかど)さしつ。死ぬるなりけり。消息いひ入るれど、何のかひなし。いみじく悲しくて、泣く泣く帰りにけり。 かくてありけることを、上(かん)のくだり奏しければ、御門もかぎりなくなん、あはれがり給ひける。 ===== 翻刻 ===== らんしける同季縄の少将やまひにいた うわつらひてすこしおこたりてうち にまいりたりけりあふみのかみ公忠の きみかもんのすけにて蔵人なりける ころなりけりそのかもんのすけに あひていひけるやうみたり心ちは いまたをこたりはてねといとむつか しうこころもとなう侍れはなんまい りつるのちはしらねとかくまて侍こと まかりいててあさてはかりまいりこん よきにそうしたまへなといひをきて/d50l まかりいてぬ三日はかりありて少将 のもとよりふみをなんおこせたり けるをみれは くやしくそのちにあはんとちき りけるけふをかきりといはましものを とのみかきたりいとあさましくてなみた をこほしてつかひにとふいかかものし たまふととへはつかひもいとよはく なりたまひにたりといひてなく をきくにさらにえきこえすみつか らたたいままいるてといひてさとに/d51r くるまとりにやりてまつほといと こころもとなしこのゑの御かとにいて たちてまちつけてのりてはせ ゆく五条にその少将のいへあるに いきつきてみれはいといみしくさはき ののしりてかとかとさしつしぬるなり けりせうそこいひいるれとなにの かひなしいみしくかなしくてなくなく かへりにけりかくてありけるこ とをかんのくたりそうしけれは みかともかきりなくなんあはれかり給ける/d51l