大和物語 ====== 第98段 同じ太政大臣左の大臣の御母の菅原の君隠れ給ひにけるころ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 同じ太政大臣(おほきおとど)((藤原忠平。[[u_yamato097|97段参照]]))、左の大臣(おとど)((藤原実頼))の御母の菅原の君((宇多天皇皇女源順子。傾子・頎子と記されることもある。))、隠れ給ひにけるころ、御服はて給ひにけるころ、亭子の御門((宇多天皇))なん、内裏(うち)((醍醐天皇))に御消息(せうそこ)聞こえ給ひて、色ゆるされ給ひける。 されば、大臣、いときよらに、蘇芳襲(すはうがさね)など着給ひて、后宮((醍醐天皇后藤原穏子))に参り給ひて、「院の御消息の、いと嬉しく侍りて、かく色ゆるされて侍ること」など聞こえ給ひて、詠み給ひける。   脱ぐをのみ悲しと思ひし亡き人の形見の色はまたもありけり とてなん泣き給ひける。そのほどは中弁になん、ものし給ひける。 ===== 翻刻 ===== 同おほきおとと左のおととの御ははの すかはらのきみかくれたまひにけるころ御ふくはて給にけるころ/d48l ていしの御かとなんうちに御せうそこ きこえ給ていろゆるされたまひける されはおとといときよらにすわうかさね なときたまひて后宮にまいり給て 院の御せうそこのいとうれしく侍て かくいろゆるされて侍ことなときこ え給てよみ給ける ぬくをのみかなしとおもひしなき ひとのかたみのいろはまたもありけり とてなんなきたまひけるそのほと は中弁になんものしたまひける/d49r