大和物語 ====== 第94段 故中務の宮の北の方失せ給ひてのち小さき君たちを引き具して・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 故中務の宮((醍醐天皇皇子代明親王))の北の方((三条右大臣藤原定方の女))失せ給ひてのち、小さき君たちを引き具して、三条の右大臣殿に住み給ひけり。 御忌みなど過ごしては、つひに一人過ぐし給ふまじかりければ、御おとうとの九の君を、「やがて、え給はん」となん思しけるを、「何かは、さも」と、親・はらからも思したりけるに、いがかありけん、左兵衛督の君((藤原師尹))、侍従にものし給ひけるころ、「その御文、持て来(く)」となん聞き給ひける。 さて、「心づきなし」とや思しけん、もとの宮になんわたり給ひける。 その時に、御息所((醍醐天皇女御三条御息所能子。北の方の姉にあたる。))の御もとより、   亡き人の巣守(すもり)にだにもなるべきを今はとかへる今日の悲しさ 宮の御返し   巣守にと思ふ心はとどむれどかひあるべくもなしとこそ聞け となんありける。 ===== 翻刻 ===== 信明 三条右大臣女 重光保光延光等卿母 故中つかさのみやのきたのかたうせ たまひてのちちゐさき君たちを ひきくして三条のうたいしんとのに すみたまひけり御いみなとすこしては ついにひとりすくし給ましかりけれは/d46l 御おとうとの九のきみをやかてえ給はんと なんおほしけるをなにかはさもと おやはらからもおほしたりけるに いかかありけん左兵衛督のきみ侍従 にものしたまひけるころその御 ふみもてくとなんきき給けるさて こころつきなしとやおほしけんもと のみやになんわたり給けるその ときにみやす所の御もとより なきひとのすもりにたにも なるへきをいまはとかへるけふのかなしさ/d47r みやの御かへし すもりにとおもふこころはととむ れとかひあるへくもなしとこそきけ となんありける/d47l