大和物語 ====== 第81段 季縄の少将のむすめ右近故后宮にさぶらひけるころ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 季縄(すゑなは)の少将((藤原季縄))のむすめ右近、故后宮にさぶらひけるころ、故中納言敦忠((藤原敦忠))の君、おはしけるころ、頼め給ふことなどありけるを、宮に参ること絶えて、里にありけるに、さらに問ひ給はざりけり。 同じわたりの人の来たりけるに、「いかにぞ、参り給ふにや」と問ひければ、「つねにさぶらひ給ふ」と言ひければ、御文(おんふみ)奉り給ひける。   忘れじと頼めし人はありと聞く言ひし言の葉いづちいにけん となんありける。 ===== 翻刻 ===== すゑなはの少将のむすめ右近故后/d39l 宮にさふらひけるころ故中納言敦忠 のきみおはしけるころたのめたまふ ことなとありけるを宮にまいること たえてさとにありけるにさらに とひたまはさりけりおなしわたり のひとのきたりけるにいかにそまい り給にやととひけれはつねにさふらひ たまふといひけれは御ふみたてま つりたまひける わすれしとたのめしひとはあり ときくいひしことの葉いつちいにけん/d40r となんありけるおなし女のもとに/d40l