大和物語 ====== 第69段 忠文が陸奥国の将軍になりて下りける時それが息子なりける人を・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 忠文((藤原忠文))が陸奥国(みちのくに)の将軍になりて下りける時、それが息子なりける人を、監の命婦、忍びてあひかたらひけり。馬のはなむけに、目取りくくりの狩衣・打衣(うちぎぬ)・幣(ぬさ)などやりける。 かの得たる男、   宵々(よひよひ)に恋しさまさる狩衣(かりごろも)心づくしのものにざりける((底本「ざりける」に「そ有イ」と傍注)) と詠みたりければ、女めでて泣きけり。 ===== 翻刻 ===== 参議修理大夫天慶三年十一月十九日右衛門督 同年五月十五日入洛征夷大将軍 忠文かみちのくにの将軍になりて くたりける時それかむすこなりけ るひとをけんの命婦しのひてあひかた/d34l らひけりむまのはなむけにめとり くくりのかりきぬうちきぬぬさなと やりけるかのえたるおとこ みちのくのあたちのやまももろ ともにこゑはわかれのかなしからしを よひよひにこひしさまさるかり衣 こころつくしのものにさり(そ有イ)ける とよみたりけれは女めててなきけり/d35r