大和物語 ====== 第61段 亭子院に御息所たちあまた御曹司して住み給ふに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 亭子院に、御息所たち、あまた御曹司(みざうし)して住み給ふに、年ごろありて、河原の院の、いとおもしろく造られ給ひけるに、京極の御息所((藤原褒子))一所(ひとところ)の御曹司をのみして、渡らせ給ひにけり。 春のことなりけり。とまり給へる御曹司ども、いと思ひの外に、「さうざうしきこと」とも思しけり。 殿上人など通ひ参りて、藤の花いとおもしろきを、これかれ、「盛りだにも御覧ぜで」など言ひて、見歩(あり)くに、文(ふみ)をなん結び付けたりける。 開けて見れば、   世の中の浅き瀬にのみなりゆけば昨日のふぢの花とこそ見れ とありければ、人々見て、かぎりなくめであはれがりけれど、誰が御曹司のし給へるともえ知らざりけり。 男どもの言ひける、   藤の花色の浅くも見ゆるかなうつろひにける名残なるべし ===== 翻刻 ===== 亭子院にみやす所たちあまたみ さうししてすみ給にとしころありて 河原のゐんのいとをもしろくつくら れたまひけるにきやうこくのみや すところひとところの御さうしを のみしてわたらせ給にけり春のこと なりけりとまり給えるみさうし ともいとおもひのほかにさうさうしき/d30r ことともおほしけり殿上人なとか よひまいりてふちの花いとをもしろ きをこれかれさかりたにもこらんせて なといひてみありくにふみをなんむす ひつけたりけるあけてみれは よのなかのあさきせにのみなり ゆけはきのふのふちの花とこそみれ とありけれは人々みてかきりなくめてあはれかりけれとたか御さうし のし給えるともえしらさりけりお とことものいひける ふちのはないろのあさくもみゆる/d30l かなうつろひにけるなこりなるへし/d31r