大和物語 ====== 第30段 故右京の大夫宗于の君なりいづべきほどに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 故右京の大夫(かみ)宗于(むねゆき)((源宗于))の君、なりいづべきほどに、「わが身のえなりいでぬこと」と思ひ給ひけるころほひ、亭子の御門((宇多天皇))に、紀伊国(きのくに)より石付きたる海松(みる)をなん奉りけるを題にて、人々、歌詠みける。 右京の大夫。   沖つ風ふけゐの浦に立つ波の名残にさへやわれは沈まむ ===== 翻刻 ===== 故右京のかみむねゆきのきみなり いつへきほとにわか身のえなりいて ぬこととおもひたまひけるころほひ ていしの御かとにきのくによりいしつ きたるみるをなんたてまつりけ るをたいにてひとひとうたよみける 右京のかみ(宗于寛平六年正月七日従四位下/一品式部卿本康親王一男)/d18l おきつかせふけいのうらにたつ なみのなこりにさへや我はしつまむ/d19r