大和物語 ====== 第23段 陽成院の二の御子後蔭の中将の女に年ごろ住み給ひけるを・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 陽成院((陽成天皇))の二の御子((第二皇子元平親王。「二の御子」は底本「二条のみこ」。諸本により訂正。))、後蔭の中将((藤原後蔭。底本、「のちかけ」とあり、「俊」と傍書。俊蔭ともいう。))の女(むすめ)に、年ごろ住み給ひけるを、女五宮得奉り給ひて後、さらにとひ給はざりければ、「今はおはしますまじきなめり」と思ひ絶えて、いとあはれにて居給へりけるに、いと久しくありて、思ひかけぬほどにおはしましたりければ、えものも聞こえで、逃げて、戸の内に入りにけり。 帰り給ひて、御子、あしたに、「などか、『年ごろのことも申さむ』と思ひて詣で来たりしに、隠れ給ひにしも」と、ありければ、言葉はなくて、かくなん、   せかなくに絶えと絶えにし山水(やまみづ)の誰しのべとか声を聞かせん ===== 翻刻 ===== 元平弾正君後蔭延喜十年右少将四位同九月右中将/d15r 廿一年二月中納言有穂男 陽成院の二条のみこのち(俊)かけの中将のむ すめにとしころすみたまひけるを 女五宮えたてまつりたまひてのちさら にとひたまはさりけれはいまはおはします ましきなめりとおもひたえていとあ はれにてゐたまへりけるにいとひさしく ありておもひかけぬほとにおはしま したりけれはえものもきこえてに けてとのうちにいりにけりかへり給 て御こあしたになとかとしころのことも申さむ/d15l とおもひてまうてきたりしにかくれたま ひにしもとありけれはことははなくて かくなん せかなくにたえとたえにしやまみ つのたれしのへとかこゑをきかせん/d16r