大和物語 ====== 第13段 右馬の允藤原の千兼といふ人の妻にとし子といふ人なんありける・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 右馬(むま)の允(ぜう)藤原の千兼(ちかぬ)といふ人の妻(め)に、とし子(([[u_yamato003|第3段]]参照。))といふ人なんありける。 子どもなど、あまた出で来て、思ひて住みけるほどに、亡くなりにければ、かぎりなく、「悲し」とのみ思ひありくほどに、内の蔵人にてありける一条の君((貞平親王の娘))といひける人は、とし子をいとよく知れりける人なりけり。かくなりにけるほどにしも、問はざりければ、「あやし」と思ひありくほどに、この問はぬ人の従者(ずさ)の女なん会ひたりけるを見て、「かくなん、   思ひきや過ぎにし人の悲しきに君さへつらくならんものとは と聞こえよ」と言ひければ、返し、   亡き人を君が聞かくにかけじとて泣く泣くしのぶほどな恨みそ ===== 翻刻 ===== むまのせうふちはらのちかぬといふ人 のめにとしこといふ人なんありける こともなとあまたいてきておもひてすみける ほとになくなりにけれはかきりなく かなしとのみおもひありくほとにうちの 蔵人にてありける一条のきみといひ けるひとはとしこをいとよくしれりける ひとなりけりかくなりにける ほとにしもとはさりけれはあやしと/d11l おもひありくほとにこのとはぬ人の すさの女なんあひたりけるをみて かくなん おもひきやすきにし人のかな しきにきみさへつらくならん物とは ときこえよといひけれはかへし なき人をきみかきかくにかけし とてなくなくしのふほとなうらみそ/d12r