大和物語 ====== 第11段 故源大納言の君忠房のぬしの御女東の方を年ごろ思ひて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 故源大納言((源清蔭。[[u_yamato003|第3段]]参照。))の君、忠房((藤原忠房))のぬしの御女(みむすめ)東の方を、年ごろ思ひて住み渡り給ひけるを、亭子の院の若宮((醍醐天皇皇女韶子内親王))につき奉りて、離れ給ひてほど経にけり。子どもなどありければ、言(こと)も絶えず、同じ所になん住み給ひける。 さて、詠みてやりける。   住の江のまつならなくに久しくも君と寝ぬ夜のなりにけるかな とありければ、返し、   久しくも思ほえねども住よしのまつやふたたび生ひかはるらん となむありける。 ===== 翻刻 ===== 故源大納言のきみたたふさのぬしのみむ すめひかしのかたをとしころおもひてすみ わたりたまひけるをていしの院のわか みやにつきたてまつりてはなれ給て ほとへにけりこともなとありけれはこと もたえすおなしところになんすみ給 けるさてよみてやりける すみのえのまつならなくにひさしくも きみとねぬよのなりにけるかな/d10l とありけれはかへし ひさしくもおもほえねともすみよし のまつやふたたひをひかはるらん となむありける 韶子内親王延喜皇女母女御源和子光孝天皇源氏 韶子延喜廿年十二月十七日内親王三廿一年賀茂斎院後配 清蔭卿後配河内守大納言薨内親王廿三/d11r