大和物語 ====== 第9段 桃園の兵部卿の宮失せ給ひて御はて九月つごもりにし給ひけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 桃園の兵部卿の宮((醍醐天皇第一皇子克明親王))、失せ給ひて、御はて、九月つごもりにし給ひけり。 とし子((藤原千兼の妻。[[u_yamato003|第3段]]参照))、かの宮の北方に奉りける。   おほかたの秋のはてだに悲しきに今日はいかでか君暮らすらん 「かぎりなく悲し」と思ひて、泣き居給へりけるに、かく言ひければ、   あらばこそ初めもはても思ほえめ今日にもあはで消えにしものを となむ返し給ひける。 ===== 翻刻 ===== れにけり 敦固(二品兵部卿 延喜五年/寛平第四 母同延喜)九月七日薨 ももそののひやうふきやうのみやうせ給て 御はて九月つこもりにし給けりとしこ かの宮の北方にたてまつりける/d9l おほかたのあきのはてたにかなし きにけふはいかてかきみくらすらん かきりなくかなしとおもひてなきゐ 給えりけるにかくいひけれは あらはこそはしめもはてもおもほえめ けふにもあはてきえにしものを となむかへし給ける/10r