大和物語 ====== 第8段 監の命婦のもとに中務の宮おはしまし通ひける・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 監の命婦のもとに、中務の宮、おはしまし通ひける。 「方の塞(ふた)がりければ、今宵はえなん詣でぬ」とのたまへりければ、その御返事(おんかへりごとに、   逢ふことのかたはさのみぞふたがらん一夜めぐりの君となれれは とありければ、方の塞がりたりけれど、おはしましてなん、御殿ごもりける。 かくてまた、久しう音もし給はざりけるに、「『嵯峨の院に狩りす』とてなん、久しう消息(せうそこ)なんども、ものせざりける。いかにおぼつかなく思ひつらん」なんど、のたまひける、御返しに、   大沢の池の水茎(みづぐき)絶えぬとも何かうらみむさがのつらさは 御返り、これにや劣りけむ。人、忘れにけり。 ===== 翻刻 ===== 女いとあはれとおもひけりけむの命婦のも とになかつかさのみやおはしましかよひけ るかたのふたかりけれはこよひはえなん まうてぬとのたまへりけれはその御返事に あふことのかたはさのみそふたからん ひとよめくりのきみとなれれは とありけれはかたのふたかりたりけ れとおはしましてなん御とのこもりけ るかくてまたひさしうをともし給は/d9r さりけるに嵯峨の院にかりすとてなん ひさしうせうそこなんともものせさ りけるいかにおほつかなくおもひつらんな んとの給ける御かへしに おほさはのいけのみつくきたえぬと もなにかうらみむさかのつらさは 御かへりこれにやおとりけむひとわす れにけり 敦固(二品兵部卿 延喜五年/寛平第四 母同延喜)九月七日薨/d9l