大和物語 ====== 第3段 故源大納言宰相におはしましける時・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 故源大納言((源清蔭))、宰相におはしましける時、京極の御息所((藤原時平の娘、藤原褒子))、亭子院((宇多法皇))の御賀つかまつり給ふとて、「かかることなむ、せんと思ふ。ささげ物を、一枝(えだ)二枝せさせて給へ」と聞こえ給ひければ、鬚籠(ひげこ)をあまたせさせさせ給ひて、とし子((藤原千兼の妻))にいろいろに染めさせ給ひけり。敷物の織物ども、いろいろに染め、縒(よ)り、組み、なにかとみなあげてせさせ給ひけり。その物どもを、九月つごもりに、みないそぎ果てけり。 さて、その十月一日の日、この物いそぎ給ひける人のもとに、おこせたりける。   千々(ちぢ)の色にいそぎし秋は過ぎにけり今は時雨に何を染めまし その物いそぎ給ひける時は、間もなく、これよりもかれよりも((「よりも」は底本「よりし」。諸本により訂正))言ひかはし給ひけるを、それより後は、そのこととやなかりけん、消息(せうそこ)も言はで、十二月(しはす)のつごもりになりにければ、とし子、   かたかけの船にや乗れる白波のさわぐ時のみ思ひ出づる君 となむ言へりけるを、その返しをもせで、年越えにけり。 さて、二月(きさらぎ)ばかりに、柳のしなひ、ものよりも、けに長きなん、この家にありけるを折りて、   青柳のいとうちはへてのどかなる春日(はるひ)しもこそ思ひ出でけれ とて、なんやり給へりければ、いとになくめでて、後までなむ語りける。 ===== 翻刻 ===== 故源大納言宰相におはしましける時京極のみや/d5l すところていしの院の御賀つかまつり給 とてかかる事なむせんとおもふささけ物を一えた 二えたせさせてたまへときこえたまひ けれはひけこをあまたせさせさせ給て としこにいろいろにそめさせたまひけり しき物のをりものともいろいろにそめよ りくみなにかとみなあけてせさせ給 けり其のものともを九月つこもりにみないそきはてけりさてその十月ついたちのひこのもの いそきたまひけるひとのもとにおこせた りける ちちのいろにいそきしあきはすきに/d6r けりいまはしくれになにをそめまし そのものいそき給ける時はまもなくこれよりも かれよりしいひかはしたまひけるをそれより のちはそのこととやなかりけんせうそこも いはてしはすのつこもりになりにけれは としこ かたかけのふねにやのれるしらなみの さはく時のみおもひつるきみ となむいえりけるをそのかえしをもせて としこえにけりさてきさらきはかりにや なきのしなひものよりもけになかきなん/d6l このいへにありけるををりて あをやきのいとうちはへてのとかなる はるひしもこそおもひいてけれ とてなんやり給えりけれはいとになくめ ててのちまてなむかたりける野大弐すみ/d7r