打聞集 ====== 第20話 唐僧、穴に入る事 ====== ===== 校訂本文 ===== 昔、唐(もろこし)なりける僧、天竺に渡りぬ。ほかのことにあらず、ただ、ものの見物をするなり。所々見往く。 片山(かたやま)に大きなる穴あり。牛、この穴はひ入る。そのともにつづいて((「つづいて」は底本、「次ツツテ」。文脈により訂正))入れば、久しく通りて、明かき所に通り出でて見れば、天竺にも似ず、花開きたり。 牛、この花を食ふ。「こころみむ」とて、この花を一枝取りて、一花食ふ。甘(うま)きこと、極なし。甘きこと口に満ちたり。甘きままに、また取りて食ふ。三房ばかり食ひに食ふままに、ただ肥えに肥ゆ。心得ず((「心得ず」は底本「不得」。「心」の脱字とみて訂正。))思ゆれば、怖しくて、ある穴より帰り出づ。 初めは安らかに通りつる穴に、今度はせめて強(あなが)ちにこみ通る。この方、既に通らむとするに、穴に満ちぬ。内(うち)ほらなるに、帰るも帰らず、出づるも出でで、穴より頭ばかりをさし出で止みぬ。わびしきことかぎりなし。 渡りと渡る人に、助くべきよしを言ふとも、聞き入るる人なし。日ごろになれば死ぬ。のちには石になりて、その頭あり。 玄奘三蔵の天竺に渡る時の記、このよしを記せり。 ===== 翻刻 ===== 昔唐ケル僧天竺渡ヌ非他事只物ノ為見物也所々見往ク片山ニ大ル穴有リ 牛此穴ハヒ入其トモニ次ツツテ入ハ久通テ明所ニ通出テテ見ハ天竺ニモ不似花開 タリ牛此花ヲ食フ心見トテ此花ヲ一枝取テ一花食甘ウマキ事極无シ甘事口ニ満タリ/d31 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1192812/31 甘ママニ又取テ食三房許食食ママニ只肥ニ々不得オホユレハ怖クテ有穴ヨリ帰出 初メハ安ラカニ通ツル穴ニ今度ハセメテ強チニコミ通此ノ片旡ニ通トスルニ穴ニ満ヌ内チ ホラナルニ帰モ々ラス出モ々テテ穴ヨリ頭許ヲ指出止ヌワヒシキ事限ナシ渡ト渡人ニ助ヘキ 由ヲ云トモ聞入ルル人ナシ日来ニナレハ死ヌ後ニハ石ニ成テ其頭アリ玄奘三蔵ノ天竺ニ 渡トキノ記此由ヲシルセリ/d32 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1192812/32