打聞集 ====== 第18話 慈覚大師、入唐の間の事 ====== ===== 校訂本文 ===== 昔、慈覚大師((円仁))入唐の時、会昌の天子((唐の武宗))、仏法破滅の宣下さるれば、使者を分け堂塔やぶり、法師ども捕へて、俗となす。 覚大師、破滅の使に合ふ。大師を見付けて追ひ取むず。大師、逃げて、堂内にこもり給ふ。使、堂を開けてあさる。大師、仏中に居て、不動尊を念じ奉り給ふ。使、あまたあさるに、大師、見え給はず。 ただ、新しき不動尊、一丈の仏達の中いますかり。それを奇(あやし)むで、かき下して見る時に、大師、大形になり給ひぬ。使、驚きて、俗になさずして、王に奏す。宣旨にいはく、「他国の聖なり。すみやかに追ひ逃がしてよ」と免しつ。 大師、悦びて、他国に逃がしめ給ふ間、はるかなる山隔てて、人の住処(すみか)あり。城、高く築(つ)きて、めぐり堅固たり。一門あり。前に人立てり。悦びをなして問ふ。答へていはく、「一人の長者の家なり。和尚、何人ぞ」。答へていはく、「日本国より、仏法学ぶために渡るなり。而るに、かくのごとく礼相也。『しばらく安隠処に隠れてあらむ』と思ふなり」。この門に立つ人のいはく、「ここには、おぼろけの人来たらず。極めて吉(よ)き所なり。しばらくここにおはして、事平後に出でて、仏法を学ぶなり」と言ふ。 悦びをなして、この人とともに具して入る。門、閉ぢ、奥の方に歩みて、後ろ立ちて往(ゆ)く。見れば、種々の家造り、人、多く住みたり。「騒ぎに、かかる所に来、いと吉(よし)。かかるほどは、ここにあらむ」と思して、ところどころ行き給ふに、仏経、およそ見え給ふ所なし。後の方なる屋を、寄りて聞けば、人、病み悩む音、多くす。あやしうて見れば、人を縛(しば)て、上に釣り付け、下にへどもを据ゑて、そのへに血を垂らし入る。心得で、問へども答へず。奇(あやし)みてのきぬ。 また、他方をのぞけば、人、またによう音とす。色きはめて青き者どもの、痩せかきたる((「痩せかきたる」は[[:text:k_konjaku:k_konjaku11-1|『今昔物語集』11-11]]に、「痩せ枯(かれ)たる」。))多く居り。一人招けば、這ひ寄りたり。「こは何所ぞ。かくのごとく堪へがてげなることどもの見るは」と、大師、問ひ給ふ。木端(はし)をもつて、糸筋(いとすぢ)のやうなる臂(ひじ)をさし出だして、地に書く。 それを見れば、「これは纐纈城((「纐纈城」は底本「講結城」。[[:text:k_konjaku:k_konjaku11-1|『今昔物語集』11-11]]・[[:text:yomeiuji:uji170|『宇治拾遺物語』170]]により訂正。以下すべて同じ。なお、纐纈(こうけつ)は絞り染めの意。))なり。ここに来たる人は、まづ物の言はぬ薬を服させて、ついで、肥ゆる薬を服さす。その後、高所に釣り懸けて、ところどころをさし切りて、血を垂らして、へ((「へ」は底本、戸かんむりに勺。[[:text:k_konjaku:k_konjaku11-1|『今昔物語集』11-11]]では「壺」))に溜(た)む。その血をもつて纐纈を染めて、売りつつ世を経ける所なり。もの食はする中に、胡麻((「胡麻」は底本「古摩」。通行の表記に改めた。))のやうの、黒ばみたる物あり。それは、もの言はぬ薬なり。さあらむ物参りたらば、食はるるまねして、人もの言はば、もの言はぬやうに、うめきにのみうめきて、ものなのたまひそ。おのれも、その薬を知らずして食ひ、かかる目をば見るなり。逃ぐべき構(かま)へをし給へ。めぐり門、堅くさして、おぼろげにて、人入るべきやうなき所なり((「なき所なり」は底本「□キ所也」。一字破損。[[:text:k_konjaku:k_konjaku11-1|『今昔物語集』11-11]]により補う。))」。と書きたるを見て後、おほよそ思えず立ち去る。居所にしたる所へ帰りぬ。 人、食物を持て来たり((「持て来たり」は底本「□来たり」。一字破損。[[:text:k_konjaku:k_konjaku11-1|『今昔物語集』11-11]]により補う。))。いふやうなり。けしきあるもの、中に盛りて据ゑたり。ものを食ひて、この薬をば、食ふやうにて、ふところにさし入れて((「さし入れて」は底本「□し入て」。一字程度破損。[[:text:k_konjaku:k_konjaku11-1|『今昔物語集』11-11]]により補う。))、外に捨てつ。人来てもの言へば、うめきにのみうめきて、もの言はず。「今はし得つ」と思ひて、肥ゆべき薬を((「薬を」は底本「□を」。一字程度破損。[[:text:k_konjaku:k_konjaku11-1|『今昔物語集』11-11]]により補う。))、種々に食はす。 人、立ち去りたる間、丑寅の方に向ひて、「本山三宝薬師仏助け給へ」と手をすりて、□拝す。その時に、大犬出で来て、大師の御衣の袖(そで)を食ひて、飛びて、出づへくもあらぬ水門より引き入る((「る」は底本破損。文脈により補う))。外に出でぬれば、犬は失せけり。「逃げ得つ」と思ひて、足のむく方に走り給ふ。 はるかに山を越えて、人里に出で給へるに、人あひたり。「これは、いづこより来る聖の、かく走り給ふぞ」と問ひければ、「上件所に到りあるなり。ありさまはしかじか」と言ひければ、「いみじかりけることかな。その所は纐纈城なり。衆人、血を絞る所なり。かしこに至る人、出ることかたし。おぼろけの仏助ならずは、出づべきやうなし。いみじう貴かりける仏かな」と悦びて去る。 それより、いよいよ逃げのきて、王城方にいたりて、忍びてあるほどに、会昌天子、失せ給ひぬ。他の帝王、次につき給ひぬれば、仏法破滅する止みぬ。大師、本意のごとくに、種々の仏法習ひ学び、十一年といふに、この国に帰り給ふ。真言宗ひろめ給ふなりけり。 ===== 翻刻 ===== 昔慈覚大師入唐時会昌天子仏法破滅之被宣下者分使者堂塔ヤフリ 法師共トラヘテ成俗覚大師合破滅之使大師ヲ見付テ追取ムス大師逃テ 堂内コモリ給使開堂アサル大師シ仏中ニ居テ不動尊念奉給使アマタアサルニ 大師不見給ス只新不動尊一丈ノ仏達チノ中イマスカリ其ヲ奇(アヤシムテ)カキ下テ 見ル時ニ大師大形ニ成給ヌ使驚テ不成俗テ王奏ス宣旨云他国ノ聖也 速ニ追逃テヨト免大師悦テ他国ニ逃シメ給間玄ル山隔テテ人スミカアリ城高 付キテメクリ堅固タリ一門アリ前ニ人立リ悦成テ問答云一人長者家也和尚 何人ソ答云日本国ヨリ仏法学タメニ渡也而如是礼相也蹔安隠処ニカクレ/d29 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1192812/29 テ有ト思也此門立人云此処ニハオホロケノ人不来極吉所也蹔此ニオハシテ事 平後ニ出テ仏法学也ト云悦成テ此人共ニ具入門閉奥方歩テ後立テ往 見ハ種々家造人多住タリ騒キニカカル所ニ来イト吉カカル程ハ此ニ有ト思シテ 処々行給ニ仏経凡不見給所ナシ後ノ方ナル屋ヲヨリテ聞ハ人病悩音多 スアヤシウテ見人ヲ縛シハテ上ツリ付下ニヘトモヲ居テ其ヘニ血ヲタラシ入不得心テ問モ 不答奇テノキヌ又他方ヲノソケハ人又ニヨウ音ヲトス色極青物共ノヤセカキタル 多居リ一人招ハハヒヨリタリコハ何所ソ如是難堪ナル事共ノ見ハト大師問 給フ木ハシヲ以テ糸スチノ様ナル臂ヲ指出テ地ニ書其ヲ見ハ此ハ講結城 也此ニ来人ハ先物ノ云ヌ薬ヲ服テ次肥薬ヲ服ス其後高所ニツリ懸テ 処々ヲ指切テ血ヲタラシテ〓(ヘ)ニタム其ノ血ヲ以テ講結ヲ染テウリツツ世ヲ経ケル 所也物喰ル中ニ古摩ノ様ノ黒ハミタル物アリ其ハ物不云薬也サアラム物マイリタラハ 食ルマネシテ人物云ハ物不云様ニウメキニノミウメキテ物ナノ給ソヲノレモ其薬ヲ 不知シテ食カカル目ヲハ見也逃ヘキ構ヘヲシ給メクリ門堅指テヲホロケニテ人入ヘキ様 □キ所也ト書タルヲ見テ後凡思ヲホエス立去居所ニシタル所ヘ帰ヌ人食物ヲ □来タリ云様ナリケシキアルモノ中ニモリテスヱタリ物ヲ食テ此薬ヲハ食様ニテフトコロ □シ入テ外ニステツ人来物云ハウメキニノミウメキテ物不云今ハシエツト思テ肥ヘキ/d30 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1192812/30 □ヲ種々ニ食ス人立去タル間丑寅方ニ向テ本山三宝薬師仏助給ト手摩テ □拝ス其時ニ大犬出来テ大師御衣ノソテヲクヒテ飛テ出ヘクモアラヌ水門ヨリ引入 □外ニ出ヌレハ犬ハ失ケリ逃得ト思テ足ノ対方ニ走給玄ニ山ヲ越テ人里ニ出 給ヘルニ人対タリ此ハイツコヨリ来聖ノカク走給ソト問ケレハ上件所ニ到有也有様ハ然々 ト云ケレハイミシカリケル事カナ其所ハ講結城也衆人血ヲシホル所也彼所至人出事難シ ヲホロケノ仏助ナラスハ出ヘキ様ナシイミシウ貴カリケル仏カナト悦テ去其ヨリ倍(イヨイヨ)逃ノキテ 王城方ニ至テシノヒテ有程ニ会昌天子失給ヌ他帝王次ニ付給ヌレハ仏法破滅事止ヌ 大師如本意ニ種々ノ仏法習学十一年ト云ニ此国帰給真言宗弘給フ也ケリ/d31 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1192812/31