打聞集 ====== 第8話 鳩摩羅、仏を盗む事 ====== ===== 校訂本文 ===== 昔、天竺に、仏の忉利天に昇り給へるほど、優填王((優陀延))の恋ひ奉りて、栴檀の木をもつて造り奉り給へる仏おはします。しかるを、仏、涅槃に入り給ひて後に、この栴檀の仏を、世こぞりて貴びて、仕へつるほどに、鳩摩羅(([[:text:k_konjaku:k_konjaku6-5|『今昔物語集』6-5]]にには鳩摩羅焔。鳩摩羅琰・鳩摩羅炎とも。))といふ聖、これを盗みて、率(ゐ)て奉る。 「人や追ふて捕ふる」と思ひければ、夜・昼留まることなく、いらなう耐へがたく嶮(けは)しき道を往く。「天竺には、仏、出で給へる国なれば、この仏おはせずとも、やんごとなき物どもあり。唐には、かかるやんごとなき仏もおはせじ。やんごとなき仏を渡し奉りて、あまねくよろづの人導かむ」と思へば、かう寿(いのち)も惜しまず、盗み奉りて往く。心の内を、仏、あはれと思し召して、昼は鳩摩羅、仏を負ひ奉り、夜は鳩摩羅を、仏、負ひ給ひて、往く。亀茲国((「亀茲国」は底本「□ウシ国」で一字破損。「キウシ国」か。[[:text:k_konjaku:k_konjaku6-5|『今昔物語集』6-5]]により補う。))の王の御もとに来るに、「この国は天竺と唐の間、おのおの玄(はる)かにのきたる国なり。去る方も□に、往く末((「末」は底本「未」。文脈により訂正。以下すべて同じ。))も遠し。されば、今は人追ひて来じ」と思ひて、この国に休む間、国王、この大師に会ひて、ことの心を問ひ給ふ。思ふ心を申しければ、聞きて泣き給ふことかぎりなし。 ここに、王の思すやう、「わが娘、ただ一人あり。形、天女のごとし。かなしまるること、かぎりなし。しかるに、この聖、いみじくやんごとなき貴き聖なり。この娘、合はせて、胤(たね)を取らむ。聖、貴けれど、年いたく老ひたり。往く末の道、はるかに遠し。過ぎにし道の耐へがたさに、いたく疲れ老いにたり。本意のごとく、この仏を唐に渡し奉らむことかたし。今、生みたらむ子は、聖の思ひのごとく、伝へさせむ」と思して、泣く泣く聖人に会はせ奉るに、聖、いみじきことどもを申して、すまひ申す。 王ののたまはく、「聖は戒を破りて、地獄に落つとも、ゆく末の仏法の、はるかに伝はらむこそ、菩薩の行にはあらめ。わが身一人思ひてあらむは、本意なきことにこそ」と、王、泣く泣くのたまひければ、この御娘、ただ一夜寝にけり。 聖、その後、いくばくなくて、失せにけり。王の娘、はらんで、男子生みてけり。いはゆる((「いはゆる」は底本「イハルユ」。誤写とみて訂正。))羅什三蔵((鳩摩羅什))なり。如法、唐にこの仏を渡し付き給ひて、多くの衆生を利益し、法華経を渡す。これのみならず、多くの経論を書き出だし、この国((日本を指す。))にて、仏法の伝はることも、ただこの三蔵の徳なり。 さて、この仏をば、唐に渡し奉れるを、またうつし造り奉りて、この国に渡し奉るなり。清岸寺に今におはする仏なり。 ===== 翻刻 ===== 昔天竺ニ仏ノ忉利天ニ昇給ル程優填王ノ恋奉リテ栴檀ノ木ヲ以テ造奉リ 給ル仏オハシマスシカルヲ仏涅槃ニ入給テ後ニ此栴檀ノ仏ヲ世コソリテ貴テ 仕ツル程ニ鳩摩羅ト云聖此ヲ盗テヰテタテマツル人ヤ追テトラフルト思ケレハ 夜ル昼ル留ルコトナクイラナウタヘカタク嶮キ道ヲ往ク天竺ニハ仏出給ヘル国ナレハ 此仏オハセストモ止事ナキ物共アリ唐ニハカカル止事无仏モオハセシ止事无仏ヲ 渡奉テ遍(アマネク)ヨロツノ人導カムト思ハカウ寿モヲシマス盗タテマツリテ往心ノ内ヲ 仏アハレト思食テ昼(ヒル)ハ鳩摩羅仏ヲ負タテマツリ夜ハ鳩摩羅ヲ仏負給テ往 □ウシ国ノ王ノ御モトニ来ルニ此ノ国ニハ天竺ト唐ノ間各々玄ニノキタル国ナリ去方モ/d20 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1192812/20 □ニ往未モ遠サレハイマハ人追テコシト思テ此国ニヤスム間国王此大師ニアヒテ事ノ 心ヲ問給思心ヲ申ケレハ聞テ泣給事限リ无シココニ王ノオホス様我ムスメタタ 一人アリ形天女ノコトシカナシマルル事限リ无シシカルニ此聖イミシク止事无キ貴キ聖 ナリコノムスメアハセテタネヲトラム聖貴ケレト年イタク老タリ往未ノ道ハルカニ玄シスキ ニシ道ノタヘカタサニイタクツカレ老ニタリ本意ノ如ク此仏ヲ唐ニ渡タテマツラムコトカタシ 今生タラム子ハ聖ノ思ノコトク伝ヘサセムトオホシテナクナク聖人ニアハセタテマツルニ聖リ イミシキ事トモヲ申テスマヒ申王ノノタマハク聖ハ戒ヲ破テ地獄ニ落トモユク未ノ仏 法ノハルカニ伝ハラムコソ菩薩ノ行ニハアラメワカミ一人思テアラムハ本意无キ事ニコソト王泣々 ノタマヒケレハ此御ムスメタタ一夜ネニケリ聖其後イクハクナクテウセニケリ王ノムスメ ハラムテ男子生テケリイハルユ羅什三蔵也如法唐ニ此仏ヲ渡付給テオホクノ衆生 ヲ利益シ法花経ヲ渡コレノミナラス多ノ経論ヲカキイタシ此ノ国ニテ仏法ノ伝ル 事モタタ此三蔵ノトクナリサテ此仏ヲハ唐ニ渡タテマツレルヲ又ウツシ造タテマツリテ此国ニ 渡シタテマツルナリ清岸寺ニイマニヲハスル仏也/d21 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1192812/21