打聞集 ====== 第3話 仏舎利の事 ====== ===== 校訂本文 ===== 昔、好恵三蔵(([[:text:k_konjaku:k_konjaku6-4|『今昔物語集』6-4]]では、「康僧会三蔵」。))といふ聖人、天竺より唐へ渡り、護国(([[:text:k_konjaku:k_konjaku6-4|『今昔物語集』6-4]]では、「胡国」))といふ所に行きぬ。 件(くだん)の国王、怪しびて、「これは何人ぞ」と問ひ給ふ。「釈迦仏の御弟子なり」。その釈迦仏はおはしますや」と問ひ給へば、「はや、昔、失せ給ひにけり」と申す。王ののたまはく、「さては、誰(たれ)を師とは憑(たの)むぞ」。三蔵の申していはく、「昔、釈迦如来、舎利を残して、衆生を引導給へり((「引導給へり」は底本「引導ヘリ」。給の脱落とみて補入))。国王、問ひ給はく、「さて、その舎利はおはするか」。「天竺になむ、おはする。ここには具し奉らせず」。王ののたまはく、「なんぢの言ふこと信ぜず。何をもちてか、舎利の有無を知らむ」。三蔵申さく、「舎利は具し奉らねども、ここにて祈らば、出でおはするものなり」。王ののたまはく、「さは、なんぢ、祈り出だせ。三蔵、祈るべき由(よし)を申す。 王、「舎利出でおはせずは、いかに」。三蔵申さく、「舎利、祈り出だし奉らずは、この頸を取るべきなり」と申す時に、王、「さは、今日より((「今日より」は底本「日」虫損。『今昔物語集』により補入。))祈れ」とて、七日を限りて祈らる。 三蔵、紺瑠璃壺(つぼ)を札の上に持ちて、花・香奉りて祈るに、七日過ぎぬ。国王、問ひ給ふ。「如何(いかん)」。今、七日を延べらるべき由を申す。 七日延べて祈るに、その七日満つとも、舎利、見え給はず。今七日延べらるべき由を申す。申すに随(したが)ひて、今七日延べられぬ。 切りに切りて行ふ間に、六日といふ明朝に、瑠璃壺の内に、大舎利一つ現ぜり。壺の内より光を放つ。 その時に、三蔵、王に、舎利出で給ふ由を申す。王、悦(よろこ)びて、往(ゆ)きて見給ふに、まことに瑠璃壺の内に丸白玉あり。壺の内より、白光を放つ。王(みかど)、拝み貴がり給ひて、三蔵の申に随ひて、すみやかに塔を造り給ひて、この舎利を安持し奉り給へり。 その寺の名は五者寺(([[:text:k_konjaku:k_konjaku6-4|『今昔物語集』6-4]]では、「建初寺」で、こちらの方が適当。))と付けらる。造り始むる寺と名付く。/d14 ===== 翻刻 ===== 昔好恵三蔵ト云フ聖人天竺ヨリ唐ヘ渡護国ト云所ニ行ヌ件国王 アヤシヒテ是ハ何人ソト問給尺迦仏之御弟子也其尺迦仏ハ御坐ヤト問給 ヘハ早昔失給ヒニケリト申王ノノ給ハクサテハタレヲ師トハ憑ソ三蔵ノ申云昔尺 迦如来舎利ヲ残シテ衆生ヲ引導ヘリ国王問給クサテ其舎利ハオハ スルカ天竺ニナムオハスル此ニハ具シ奉セス王ノノタマハク汝云事不信ナニヲモチテカ舎利ノ 有无ヲ知ラム三蔵申サク舎利ハ具シ奉ラネトモ此ニテ祈ハ出御坐ルモノナリ 王ノノタマハクサハ汝祈出セ三蔵祈ヘキ由ヲ申ス王舎利出テ御坐セスハ何ニ三蔵申ク 舎利祈出シタテマツラスハ此頸ヲ取ヘキ也ト申時ニ王サハ今□ヨリ祈トテ七日ヲ 限テ祈ラル三蔵紺瑠璃ツホヲ札ノ上ニ持テ花香奉テ祈ニ七日過ヌ 国王問給如何イマ七日ヲ延ヘラルヘキ由ヲ申七日延ヘテ祈ニ其七日満トモ舎利 不見給スイマ七日ノヘラルヘキ由ヲ申々ニ随テイマ七日延ラレヌ切ニ々テ行フ間ニ六日 トイフ明朝ニ瑠璃ツホノ内ニ大舎利一ツ現セリツホノ内ヨリ光ヲ放ツ其時ニ/d13 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1192812/13 三蔵王ニ舎利出給由ヲ申ス王悦テ往テ見給ニ実ニ瑠璃ツホノ内ニ丸白 玉アリツホノ内ヨリ白光ヲ放ツ王ト拝ミ貴カリ給テ三蔵ノ申ニ随テ速ニ塔ヲ 造給テ此舎利ヲ安持シ奉給ヘリ其寺ノ名ハ五者寺ト付ラル造リ始ムル寺ト名付/d14 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1192812/14