打聞集 ====== 第2話 釈迦如来験の事 ====== ===== 校訂本文 ===== 昔、唐に、晋の史弘(([[:text:k_konjaku:k_konjaku6-1|『今昔物語集』6-1]]によると、「秦の始皇」。始皇帝。))の時、天竺より僧(([[:text:k_konjaku:k_konjaku6-1|『今昔物語集』6-1]]では「釈の利房」。))渡れり。 王、怪しび給ひて、「これは何者、いづれの国より来たるぞ」。僧、申していはく、「釈迦牟尼仏の御弟子なり。仏法伝へむがために、はるかなる天竺より来たるなり」と申しければ、王(みかど)、嗔(いか)りて、「その体・姿、きはめて怪し。衣も体、人にたがひたり。仏の弟子と名乗る。仏といふ者知らず。これはわづらはしき者なり。ただに返すべからず。獄(ひとや)に坐(す)ゑて、今より、かくのごとく奇異(あやし)きこと言ふ者は、今、ころしむべきなり」とて、獄に坐ゑられぬ。 深く門を閉ぢて、重くいまめて置きたれど、宣旨下されて、獄に賜ひつ。獄の司(つかさ)の者、宣旨のままに、中に重罪ある者を置く所に籠(こ)めて、上((錠(ぢやう)か。))をあまたさしつ。 この僧、「仏法伝ふに、悪王にあひて、かく悲しき目を見るを、わが本師釈迦如来は、失せ給ひて後、久しくなりぬれども、あらたに見給ふらん。われを助け給へ」と念じて、臥せるに、釈迦仏、丈六の体、紫磨黄金之光を放ちて、大空(おほぞら)より飛び来たり給ひて、この獄門を踏み破り給ひ入りて、取りて去給ひぬ((「去給ひぬ」は底本「去ヒヌ」。「給」の脱字とみて補入。))。 その次に、かたへの盗人ども、みな免し給ひてければ、思ひ思ひに、みな逃げ去りぬ。獄の司、虚空にものの鳴りければ、出でて見れば、金□((□は底本破損。))僧、光を放てるが、長(たけ)丈六なる、空より飛び来たりて、獄門を踏み放ちて、この居られたる天竺の僧を取りて行く音なりけり。驚きながら、その由を王に申しければ、王、怖畏、騒ぎ給ひけり。 その時に、渡らむとしける仏法、絶えて渡たらずなりぬ。さて、下りて、後漢には渡るなりけり。 ===== 翻刻 ===== 昔唐ニ晋ノ史(シ)弘(クワウ)之時天竺ヨリ僧渡リ王アヤシヒ給テ之ハ何物イツレノ国ヨリ 来ルソ僧申云尺迦牟尼仏ノ御弟子也仏法伝ムカ為ニ遠カナル天竺ヨリ来也ト申 ケレハ王(ミカ)ト嗔テ其ノ体スカタ極アヤシ衣モ体人ニタカヒタリ仏ノ弟子トナノル仏ト云物不知是ハ ワツラハシキ物也只ニ返ス不可ス獄ヒトヤニ坐テ自今如是奇異事云物ハ今コロシムヘキナリトテ獄 ニ坐ラレヌ深閉門テ重クイマメテヲキタレト宣旨下サレテ獄ニ賜ツ獄ノツカサノ物 宣旨ノママニ中ニ重罪アル物ヲヲク所ニ籠テ上ヲアマタ指ツ此僧仏法伝ニ悪王ニ 相テカク悲キ目ヲ見ルヲ我本師尺迦如来ハ失給テ後久成ヌレトモアラタニ 見給覧我ヲ助給ヘト念シテ臥ルニ尺迦仏丈六ノ体紫磨黄金之光ヲ放テ ヲホソラヨリ飛来給テ此獄門ヲフミ破給入リテ取テ去ヒヌ其次ニカタヘノ盗人共 皆免シ給テケレハ思々ニ皆逃去ヌ獄ノツカサ虚空ニ物ノノナリケレハ出見ハ金/d12 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1192812/12 □僧光ヲ放ルカ長丈六ナル空ヨリ飛来テ獄門ヲフミハナチテ此居ラレタル天竺ノ 僧ヲ取テイクヲトナリケリ驚ナカラ其由ヲ王ニ申ケレハ王怖畏サハキ給ケリ其時ニ 渡トシケル仏法絶テ不渡ナリヌサテクタリテ後漢ニハ渡也ケリ/d13 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1192812/13