徒然草 ====== 第139段 家にありたき木は松桜・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 家にありたき木は、松・桜。松は五葉(ごえふ)もよし。花は一重(ひとへ)なるよし。八重桜は奈良の都にのみありけるを、このごろぞ世に多くなり侍るなる。吉野の花、左近の桜、みな一重にてこそあれ。八重桜は異様(ことやう)のものなり。いとこちたくねぢけたり。植ゑずともありなん。遅桜(おそざくら)、またすさまじ。虫の付きたるもむつかし。 梅は白き・薄紅梅(うすこうばい)。一重なるがとく咲きたるも、重なりたる紅梅の匂ひめで たきも、みなをかし。遅き梅は、桜に咲き合ひて、覚え劣り、けおされて、枝にしぼみ付きたる、心憂し。「一重なるが、まづ咲きて散りたるは、心とく、をかし」とて、京極入道中納言((藤原定家))は、なほ一重梅をなん、軒近く植ゑられたりける。京極の屋の南向きに、今も二本侍るめり。 柳、またをかし。卯月ばかりの若楓(わかかへで)、すべてよろづの花・紅葉にもまさりて、めでたきものなり。橘(たちばな)・桂(かつら)、いづれも木はもの古り大きなるよし。 草は山吹・藤・杜若(かきつばた)・撫子(なでしこ)。池には蓮(はちす)。秋の草は荻(をぎ)・薄(すすき)・桔梗(きちかう)・萩(はぎ)・女郎花(をみなへし)・藤袴(ふぢばかま)・紫苑(しをに)・吾亦紅(われもかう)・苅萱(かるかや)・竜胆(りんだう)・菊。黄菊(きぎく)も。蔦(つた)・葛(くず)・朝顔、いづれも、いと高からず、ささやかなる垣にしげからぬ、よし。 このほかの、世にまれなる物、唐(から)めきたる名の、聞きにくく、花も見なれぬなど、いとなつかしからず。おほかた、何も珍しくありがたきものは、よからぬ人のもて興ずるものなり。さやうのもの、無くてありなん。 ===== 翻刻 ===== 家に有たき木は。松さくら。松は五葉 もよし。花はひとへなるよし。八重桜 は奈良の都にのみありけるを。此比ぞ 世におほく成侍るなる。吉野の花。左近 のさくら皆ひとへにてこそあれ。八重桜は ことやうの物なり。いとこちたくねぢけ/w2-8l http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he10/he10_00934/he10_00934_0002/he10_00934_0002_p0008.jpg たりうへずともありなん。遅ざくら又 すさまじ。むしのつきたるもむつかし。 梅は白きうす紅梅。ひとへなるがとく咲 たるも。かさなりたる紅梅のにほひめで たきも。みなおかし。をそき梅は。さくらに さきあひて覚えをとりけをされて。枝 にしぼみつきたる心うし。ひとへなるが。 まづさきてちりたるは。心とくおかしとて。 京極入道中納言はなをひとへ梅をなん。 軒ちかくうへられたりける。京極の屋/w2-9r の南むきに。今も二本侍るめり。柳又お かし。卯月ばかりのわかかえですべて万 の花紅葉にもまさりて。めでたきもの也。 たち花かつらいづれも木は物ふり大なる よし。草は山吹藤杜若なでしこ。池に は蓮。秋の草は荻すすき。きちかう萩 女郎花。ふぢばかましをに。われもかう かるかや。りんだう菊。黄菊も。つたく ず朝顔。いづれもいとたかからず。ささ やかなる垣に。しげからぬよし。此外/w2-9l http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he10/he10_00934/he10_00934_0002/he10_00934_0002_p0009.jpg の世にまれなる物からめきたる名の聞 にくく。花も見なれぬなど。いとなつかし からず。おほかたなにもめづらしくあり がたき物は。よからぬ人のもて興ずるもの なり。さやうのものなくてありなん/w2-10r http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he10/he10_00934/he10_00934_0002/he10_00934_0002_p0010.jpg