徒然草 ====== 第129段 顔回は志人に労をほどこさじとなり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 顔回は、志、人に労をほどこさじとなり。すべて人を苦しめ、物を虐(しへた)ぐること、賤しき民の志をも、奪ふべからず。 また、いときなき子を、すかし脅し、言ひ恥づかしめて。興ずる事あり。おとなしき人は、まことならねば、ことにもあらず思へど、幼き心には、身にしみて恐ろしく、恥づかしく、あさましき思ひ、まことに切(せち)なるべし。これを悩まして興ずること、慈悲の心にあらず。 おとなしき人の、喜び、怒り、悲しび、楽しぶも、みな虚妄なれども、誰か実有(じつう)の相に着(ぢやく)せざる。身をやぶるよりも、心をいたましむるは、人をそこなふこと、なほはなはだし。 病を受くることも、多くは心より受く。外(ほか)より来たる病は少なし。薬を飲みて、汗を求むるには、しるしなきことあれども、一旦恥ぢ恐るることあれば、必ず汗を流すは、心のしわざなりといふことを知るべし。凌雲の額を書きて、白頭(はくとう)の人となりし例(ためし)、なきにあらず。 ===== 翻刻 ===== 顔回は志。人に労をほどこさじと也。 すべて人をくるしめ。物をしへたくる 事。賤き民の志をも。うばふべからず。又 いときなき子を。すかしおどし。いひはづ かしめて。興ずる事あり。おとなしき/w1-92l http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he10/he10_00934/he10_00934_0001/he10_00934_0001_p0092.jpg 人はまことならねば。事にもあらず思へ ど。おさなき心には。身にしみておそろ しくはづかしく浅ましき思ひ。誠 に切成べし。是をなやまして興ずる 事。慈悲の心にあらず。おとなしき人 の。よろこびいかりかなしひたのしふ も。皆虚妄なれども。誰か実有の相に 着せざる。身をやふるよりも。心をいたま しむるは。人をそこなふ事なを甚し。 病をうくる事も。おほくは心よりうく。外/w1-93r より来る病はすくなし。薬をのみて 汗を求るには。しるしなきことあれ ども。一旦恥をそるることあれば。必汗 をながすは。心のしわざ也といふことを知 べし。凌雲の額を書て白頭の人 となりしためしなきにあらず/w1-93l http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he10/he10_00934/he10_00934_0001/he10_00934_0001_p0093.jpg