とはずがたり ====== 巻5 23 弥生初めつ方いつも年の初めには参り習ひたるも忘られねば八幡に参りぬ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu5-22|<>]] 弥生初めつ方、いつも年の初めには参り習ひたるも忘られねば、八幡(やはた)((石清水八幡宮))に参りぬ。睦月のころより奈良に侍り。鹿のほか便りなかりしかば((「奈良に侍り。鹿のほか便りなかりしかば」は底本「ならに侍しかのほかたよりなりしかは」。「侍りしが、ほかの便りなかりしかば」・「侍りし。かのほか便りなかりしかば」と読む説もある。))、御幸とも 誰(たれ)かは知らん。例の猪鼻(ゐのはな)より参れば、馬場殿((「馬場殿」は底本「はし殿」。))開きたるにも、過ぎにしこと(([[towazu4-23|4-23]]参照。))思ひ出でられて、宝前を見参らすれば、御幸の御しつらひあり。「いづれの御幸にか」と尋ね聞き参らすれば、「遊義門院((姈子内親王))の御幸」と言ふ。 いとあはれに参り会ひ参らせぬる御契りも、去年(こぞ)見し夢(([[towazu5-22|5-22]]参照。))の御面影さへ思ひ出で参らせて、今宵は通夜して、朝(あした)もいまだ夜に、官(くわん)めきたる女房の大人しきが、所作するあり。「誰(たれ)ならん」と、あひしらふ。得選(とくせん)おとらぬ((「おとらぬ」が女房名。))といふ者なり。いとあはれにて、何となく御所ざまのこと尋ね聞けば、「みな昔の人は亡くなり果てて、若き人々のみ」と言へば、「いかにしてか、誰とも知られ奉らん」とて、「御宮めぐりばかりをなりとも、よそながらも見参らせん」とて、したためにだにも宿へも行かぬに、「ことなりぬ((「ことなりぬ」は底本「ことありぬ」。))」と言へば、方々に忍びつつ、よに御輿のさま気高くて、宝前へ入らせおはします。 御幣(ごへい)の役を、西園寺の春宮権大夫((今出川兼季。西園寺実兼の四男。))勤めらるるにも、太政入道殿((西園寺実兼))の左衛門督など申ししころの面影も通ひ給ふ心地して、それさへあはれなるに、今日は八日とて、「狩尾(とがのお)((石清水八幡宮の狩尾社。))へ、如法御参り」と言ふ。網代輿(あじろごし)二つばかりにて、ことさらやつれたる御さまなれども、「もし忍びたる御参りにてあらば、誰とかは知られ奉らん。よそながらも、ちと御姿をもや見参らする」と思ひて参るに、また徒歩(かち)より参る若き人、二・三人行きつれたる。御社に参りたれば、「さにや」と思えさせおはします御後ろを、見参らするより((「見参らするより」は底本「まいらするより」。))、袖の涙は包まれず。立ち退くべき心地もせで侍るに、御所作果てぬるにや、立たせおはしまして、「いづくより参りたる者ぞ」と仰せあれば、過ぎにし昔より語り申さまほしけれども、「奈良の方よりにて候((「候」は底本「し」。))と申す。「法華寺よりか」など仰せあれども、涙のみこぼるるも、「『あやし』とや思し召されん」と思ひて、言葉少なにて立ち帰り侍らんとするも、なほ悲しく覚えて候ふに、すでに還御なる。 御名残りもせんかたなきに、下りさせおはします所の高きとて、え下りさせおはしまさざりしついでにて、「肩を踏ませおはしまして、下りさせおはしませ」とて、御そば近く参りたるを、あやしげに御覧ぜられしかば、「いまだ御幼く侍りし昔は、慣れつかうまつりしに、御覧じ忘れにけるにや」と申し出でしかば、いとど涙も所狭(せ)く侍りしかば、御所ざまにもねんころに御尋ねありて、「今は常に申せ」など仰せありしかば、見し夢も思ひ合はせられ(([[towazu5-22|5-22]]参照。))、「過ぎにし御所に参りあひ申ししも((「申ししも」は底本「ましも」。))この御社ぞかし」と思ひ出づれば、隠れたる信(しん)のむなしからぬを喜びても、ただ心を知るものは涙ばかりなり。 [[towazu5-22|<>]] ===== 翻刻 ===== にとしもかへりぬやよひはしめつかたいつも年のはしめには まいりならひたるもわすられねはやわたにまいりぬむつき のころよりならに侍しかのほかたよりなりしかは御幸とも たれかはしらんれいのゐのはなよりまいれははし殿あき たるにもすきにしことおもひいてられてほうせんをみまいら すれは御かうの御しつらひありいつれの御幸にかとたつね/s234r k5-52 ききまいらすれはゆうきもん院の御幸といふいとあはれ にまいりあひまいらせぬる御契もこそみし夢の御おも影 さへおもひいてまいらせてこよひはつ夜してあしたもい またよにくわんめきたる女はうのおとなしきか所作 するありたれならんとあいしらふとくせんおとらぬといふ ものなりいとあはれにて何となく御所さまの事たつね きけはみなむかしの人はなくなりはててわかき人々のみ といへはいかにしてかたれともしられたてまつらんとて御宮 めくりはかりをなりともよそなからも見まいらせんとて したためにたにもやとへもゆかぬにことありぬといへはかたかた にしのひつつよに御こしのさまけたかくてほうせんへいらせ/s234l k5-53 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/234 おはします御へいのやくを西園寺の春宮権大夫つとめらるる にも太政入道とのの左衛門督なと申し比のおもかけも かよひ給心ちしてそれさへあはれなるにけふは八日とて とかのおへ女はう御まいりといふあしろこし二はかりにてこと さらやつれたる御さまなれとももししのひたる御まいりにて あらはたれとかはしられたてまつらんよそなからもちと御 すかたをもや見まいらするとおもひてまいるに又かちより まいるわかき人二三人ゆきつれたる御やしろにまいりたれは さにやとおほえさせおはします御うしろをまいらするより 袖のなみたはつつまれすたちのくへき心ちもせて侍に 御所作はてぬるにやたたせおはしましていつくより/s235r k5-54 まいりたるものそとおほせあれはすきにしむかしよりかた り申さまほしけれともならのかたよりにてしと申法花寺 よりかなとおほせあれともなみたのみこほるるもあやし とやおほしめされんとおもひてこと葉すくなにてたち帰り 侍らんとするもなをかなしくおほえて候にすてにくわんきよ なる御なこりもせんかたなきにをりさせおはします所の たかきとてえおりさせおはしまささりしつゐてにてかた をふませおはしましてをりさせおはしませとて御そは ちかくまいりたるをあやしけに御らんせられしかはいまた 御おさなく侍しむかしはなれつかうまつりしに御らんしわ すれにけるにやと申いてしかはいとと涙も所せく侍し/s235l k5-55 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/235 かは御所さまにもねんころに御たつねありていまは つねに申せなとおほせありしかはみしゆめもおもひあはせ られすきにし御所にまいりあひましもこの御 社そかしとおもひいつれはかくれたるしんのむなしからぬ をよろこひてもたた心をしる物は涙はかりなりかち/s236r k5-56 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/236 [[towazu5-22|<>]]