とはずがたり ====== 巻5 19 かくて五月のころにもなりしかば故御所の御果てのほどにもなりぬれば・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu5-18|<>]] かくて、五月のころにもなりしかば、故御所((後深草院))の御果てのほどにもなりぬれば、五部の大乗経の宿願、すでに三部は果たしとげぬ。今二部になりぬ。 明日を待つべき世にもあらず。二つの形見を一つ供養し奉りて、「父のを残しても何かはせむ。いく世残しても中有(ちゆうう)の旅に伴ふべきことならず」など思ひ切りて、またこれをつかはすとて思ふ。「ただの人の物になさむよりも、わがあたりへや申さまし」と思ひしかども、よくよく案ずれば、「心の中の祈誓、その心ざしをば人知らで、世に住む力尽き果てて、『今は亡き跡の形見まで、飛鳥川に流し捨つるにや』と思はれんこともよしなし」と思ひしほどに、折節筑紫の少卿(せうきやう)((「筑紫の少卿」は底本「つくしのしよきやう」。))といふ者が、「鎌倉より筑紫へ下る」とて京に侍りしが、聞き伝へて取り侍りしかば、母の形見は東(あづま)へ下り、父のは西の海を指してまかりしぞ、いと悲しく侍りし。   磨る墨は涙の海に入りぬとも流れむ末に逢ふ瀬あらせよ など思ひ続けて、つかはし侍りき。 さて、かの経を五月の十日余りのころより思ひ立ち侍るに、このたびは河内の国太子の御墓((聖徳太子の墓))近き所に、ちとたち入りぬべき所ありしにて、また大品般若経二十巻を書き侍りて、御墓へ奉納し侍りき。七月の初めには都へ帰り上りぬ。 [[towazu5-18|<>]] ===== 翻刻 ===== 供養して御影供といふ事をとりおこなふかくて五月の ころにもなりしかはこ御所の御はてのほとにも成ぬれは 五部の大乗経のしゆく願すてに三部ははたしとけぬ今 二部になりぬあすをまつへき世にもあらす二のかたみを一 供養したてまつりてちちのをのこしてもなにかはせむ いく世のこしても中うのたひにともなふへきことならす なとおもひきりて又これをつかはすとて思ふたたの人の 物になさむよりもわかあたりへや申さましとおもひしかともよく よく案すれは心の中のきせいその心さしをは人しらて世に/s229l k5-43 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/229 すむちからつきはてていまはなき跡のかたみまてあすか 河になかしすつるにやとおもはれんこともよしなしとおもひし ほとにおりふしつくしのしよきやうといふものかかまくらよ りつくしへくたるとて京に侍しかききつたへてとり侍 しかはははのかたみはあつまへくたりちちのはにしの海 をさしてまかりしそいとかなしく侍し    するすみは涙のうみに入ぬともなかれむすゑにあふせあらせよ なとおもひつつけてつかはし侍きさてかの経を五月の 十日あまりのころよりおもひたち侍にこのたひは河内 のくにたいしの御はか近き所にちとたち入ぬへき所あり しにてまた大ほんはんにや経廿巻をかき侍て御はかへ/s230r k5-44 ほうなうし侍き七月のはしめにはみやこへかへりのほりぬ/s230l k5-45 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/230 [[towazu5-18|<>]]