とはずがたり ====== 巻5 7 年も返りぬればやうやう都の方へ思ひ立たむとするに余寒なほはげしく・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu5-06|<>]] 年も返りぬれば、やうやう都の方へ思ひ立たむとするに、余寒(よかん)なほはげしく、「船もいかが」と面々に申せば、心もとなくかくゐたるに、如月の末にもなりぬれば、「このほど」と思ひ立つよし聞きて、この入道((広沢与三・広沢行実))、江田といふ所より来て、続歌(つぎうた)など詠みて、帰るとて、はなむけなどさまざまの心ざしをさへしたり。「これは、小町殿(([[towazu4-08|4-8]]参照。))のもとにおはします中務の宮((宗尊親王))の姫宮の御傅(めのと)なるゆゑに、さやうのあたりをも思ひけるにや」とぞ思え侍りし。 これより備中荏原といふ所へまかりたれば、盛りと見ゆる桜あり。一枝折りて送りの者につけて、広沢の入道につかはし侍りし。   霞こそ立ち隔つとも桜花風のつてには思ひおこせよ 二日の道を、わざと人して返したり。   花のみか忘るる間なき言の葉を心は行きて語らざりけり 吉備津宮((吉備津神社))は都の方なれば、参りたるに、御殿のしつらひも、社などは思えず、様(やう)変りたる宮ばら体(てい)((「宮ばら体」は底本「宮はらてい」。「宮寺体」の誤写とする説もある。))に几帳などの見ゆるぞめづらしき。日も長く、風おさまりたるころなれば、ほどなく都へ帰り侍りぬ。 さても不思議なりしことはありしぞかし。この入道下り会はざらましかば、いかなる目にかあはまし。「主(しゆう)にてなし」と言ふとも、誰(たれ)か方人(かたうど)をせまし。さるほどには、何とかあらましと思ふより、修行も物憂くなり侍りて、奈良住み((「奈良住み」は底本「ならすみ」だが、「なかすみ」と読んで「永住み(自宅にこもる)」とする説や、「なかやすみ(中休み)」の誤写とする説がある。))して時々侍り。 [[towazu5-06|<>]] ===== 翻刻 ===== としもかへりぬれはやうやうみやこのかたへおもひたたむとするに/s216r k5-16 よかむなをはけしくふねもいかかとめむめむに申せは心 もとなくかくゐたるにきさらきの末にもなりぬれはこのほととおもひ たつよしききてこの入道ゐたといふ所より来てつきうた なとよみて帰るとてはなむけなとさまさまの心さしをさへ したりこれはこまち殿のもとにおはします中つかさの宮 のひめ宮の御めのとなるゆへにさやうのあたりをもおもひ けるにやとそおほえ侍しこれより備中ゑはらといふ所へ まかりたれはさかりとみゆるさくらあり一枝おりてをくり のものにつけてひろさはの入道につかはし侍し    かすみこそたちへたつともさくら花かせのつてにはおもひをこせよ 二日のみちをわさと人してかへしたり/s216l k5-17 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/216    花のみかわするるまなきことの葉を心は行てかたらさりけり きひ津宮はみやこのかたなれはまいりたるに御殿のしつらひも 社なとはおほえすやうかはりたる宮はらていにきちやうなと のみゆるそめつらしき日もなかくかせおさまりたる比なれは ほとなくみやこへかへり侍ぬさてもふしきなりしことはありしそ かしこの入道くたりあはさらましかはいかなるめにかあはまししう にてなしといふともたれかかた人をせましさるほとには何 とかあらましとおもふよりしゆ行も物うくなり侍てなら すみして時々侍都のかたのことなときく程にむ月の/s217r k5-18 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/217 [[towazu5-06|<>]]