とはずがたり ====== 巻5 5 讃岐の白峰松山などは崇徳院の御跡もゆかしく覚え侍りしに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu5-04|<>]] 讃岐の白峰・松山などは、崇徳院((崇徳天皇))の御跡もゆかしく覚え侍りしに、とふべきゆかりもあれば、漕ぎ寄せて下りぬ。 松山の法華堂は、如法行ふ景気見ゆれば、「沈み給ふとも、などか」と頼もしげなり。「かからむ後は((『山家集』「よしや君昔の玉の床とてもかからむ後は何にかはせむ」。))」と西行が詠みけるも思ひ出でられて、「かかれとてこそ生まれけめ((『続古今和歌集』雑下 土御門院「憂き世にはかかれとてこそ生まれけめことわり知らぬわが涙かな」。))」とあそばされけるいにしへの御事まで、あはれに思ひ出で参らせしにつけても、   もの思ふ身の憂きことを思ひ出でば苔の下にもあはれとは見よ さても、五部の大乗経の宿願、残り多く侍るを、この国にてまた少し書き参らせたくて、とかく思ひめぐらして、松山いたく遠からぬほどに、小さき庵室を尋ね出だして、道場に定め、懺法(せんぽふ)・正懺悔((「正懺悔」は底本「正さむ花」。))など始む。 長月の末のことなれば、虫の音(ね)も弱り果てて、何を友なふべしとも思えず。三時の懺法を詠みて、「慚愧懺悔六根罪障」と唱へても、まづ忘られぬ御言の葉は、心の底に残りつつ、さてもいまだ幼かりしころ、琵琶の曲を習ひ奉りしに賜はりたりし御撥(ばち)を、四つの緒をば思ひ切りにしかども、御手慣れ給ひしも忘られねば、法座の傍らに置きたるも、   手に慣れし昔の影は残らねど形見と見れば濡るる袖かな このたびは、大集経四十巻を二十巻書き奉りて、松山に奉納し奉る。経のほどのことは、とかくこの国の知る人に言ひなとしぬ。供養には、一年(ひととせ)、「御形見ぞ」とて三つ賜はりたりし御衣(([[towazu4-23|4-23]]参照。))、一は熱田の宮の経の時、修行の布施に参らせぬ。このたびは供養の御布施なれば、これを一つ持ちて布施に奉りしにつけても、   月出でむ暁までの形見ぞとなど同じくは契らざりけむ 御肌なりしは、「いかならむ世まで」と思ひて残し置き奉るも、罪深き心ならむかし。 [[towazu5-04|<>]] ===== 翻刻 ===== さぬきのしろみね松山なとは崇徳院の御跡もゆかしく おほえ侍しにとふへきゆかりもあれはこきよせてをりぬ 松山の法花堂は如法おこなふけいきみゆれはしつみ 給ともなとかとたのもしけなりかからむ後はと西行 かよみけるもおもひ出られてかかれとてこそむまれけめ とあそはされけるいにしへの御ことまてあはれにおもひ いてまいらせしにつけても    物おもふ身のうきことを思出は苔の下にもあはれとはみよ/s212l k5-9 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/212 さても五部の大せう経のしゆく願のこりおほく侍るを この国にて又すこしかきまいらせたくてとかくおもひめくらし て松山いたくとをからぬほとにちいさき庵室をたつねい たして道場にさためせんほう正さむ花なとはしむ 長月のすゑのことなれは虫のねもよはりはててなにを 友なふへしともおほえす三時のせむほうをよみてさんき 懺悔六こんさいしやうととなへてもまつわすられぬ御ことの 葉は心の底にのこりつつさてもいまたをさなかりし比 ひわの曲をならひたてまつりしに給はりたりし御はちを 四の緒をはおもひきりにしかとも御てなれ給しもわすられ ねはほうさのかたはらにをきたるも/s213r k5-10    てになれし昔のかけはのこらねとかたみとみれはぬるる袖哉 此たひは大集経四十巻を廿巻かきたてまつりて松山に ほうなうしたてまつる経の程の事はとかくこの国のしる 人にいひなとしぬ供養には一とせ御形見そとて三給はり たりし御衣一はあつたの宮のきやうの時しゆ行の布 施にまいらせぬこのたひはくやうの御ふせなれはこれを一 持てふせにたてまつりしにつけても    月出む暁まての形見そとなとおなしくは契らさりけむ 御はたなりしはいかならむ世まてとおもひてのこしをき たてまつるもつみふかき心ならむかしとかくするほとにしも/s213l k5-11 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/213