とはずがたり ====== 巻5 2 何となく賑ははしき宿と見ゆるに大可島とて離れたる小島あり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu5-01|<>]] 何となく賑(にぎ)ははしき宿(やど)と見ゆるに、大可島(たいがしま)とて、離れたる小島あり。遊女の、世を遁れて、庵(おほり)並べて住まひたる所なり。さしも濁り深く、六の道にめぐるべき営みをのみする家に生まれて、衣裳に薫物(たきもの)しては、まづ語らひ深からむことを思ひ、わが黒髪を撫でても、誰(た)が手枕(たまくら)にか乱れんと思ひ、暮るれば((「暮るれば」は底本「つるれは」。))契りを待ち、明くれば名残を慕ひなどしてこそ過ぎ来しに、思ひ捨ててこもりゐたるもありがたく思えて、「勤めには何事かする。いかなる便りにか発心(ほつしん)((「発心」は底本「ほんしむ」。))せし」など申せば、ある尼申すやう、「われはこの島の遊女の長者なり。あまた傾城を置きて、面々の顔ばせを営み、道行く人を頼みて、とどまるを喜び、漕ぎ行くを歎く。また、知らざる人に向ひても、千秋万歳を契り、花のもと露の情けに酔(ゑ)ひを勧め((『新古今和歌集』釈教 寂蓮法師「花のもと露の情はほどもあらじ酔ひな勧めそ春の山風」))などして、五十(いそぢ)に余り侍しほどに、宿縁や催しけん、有為(うゐ)の眠(ねぶ)り、一度(ひとたび)醒めて、二度(ふたたび)故郷へ帰らず、この島に行きて、朝な朝な花を摘みにこの山に登るわざをして、三世(みよ)の仏に手向け奉る」など言ふも、うらやまし。 これに一・二日とどまりて、また漕ぎ出でしかば、遊女ども名残惜しみて、「いつほどにか、都へ漕ぎ帰るべき」など言へば、「いさや、これや限りの((『新古今和歌集』別離 道命法師「別れ路はこれや限りの旅ならむさらにいくべき心地こそせね」))」など思えて、   いさやその幾夜(いくよ)あかしの泊りともかねてはえこそ思ひ定めね [[towazu5-01|<>]] ===== 翻刻 ===== ほとにひんこのくにともといふ所にいたりぬなにとなく にきははしきやととみゆるにたいかしまとてはなれ たるこしまあり遊女の世をのかれていほりならへて すまひたる所なりさしもにこりふかく六のみちにめ くるへきいとなみをのみする家にむまれて衣裳 にたき物してはまつかたらひふかからむことをおもひ わかくろかみをなててもたかたまくらにかみたれん/s209r k5-2 とおもひつるれは契をまちあくれはなこりをし たひなとしてこそすきこしにおもひすててこもりゐ たるもありかたくおほえてつとめにはなにことか するいかなるたよりにかほんしむせしなと申せはある あま申やうわれはこのしまの遊女のちやうしやなりあ またけいせいををきてめんめんのかほはせをいとなみ 道行人をたのみてととまるをよろこひこきゆくをな けくまたしらさる人にむかひても千秋万歳を契り 花のもとつゆのなさけにゑひをすすめなとしてい そちにあまり侍しほとにしゆくえむやもよほしけんう ゐのねふりひとたひさめて二たひふるさとへかへらす此/s209l k5-3 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/209 しまにゆきてあさなあさな花をつみにこの山にのほる わさをしてみよの仏にたむけたてまつるなといふもうら やましこれに一二日ととまりて又こきいてしかは遊女とも なこりをしみていつ程にかみやこへこきかへるへき なといへはいさやこれやかきりのなとおほえて    いさやそのいくよあかしのとまりともかねてはえこそおもひさためね/s210r k5-4 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/210 [[towazu5-01|<>]]