とはずがたり ====== 巻4 28 まことや小朝熊の宮と申すは鏡造の明神の・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu4-27|<>]] まことや、「小朝熊(こあさくま)の宮((朝熊神社))と申すは、鏡造(かがみつくり)の明神((イシコリドメ))の天照大神(てうせうだいじん)の御姿を写されたりける御鏡を、人が盗み奉りてとかや、淵に沈め置き参らせけるを取り奉りて、宝前に納め奉りければ、『われ苦海((「苦海」は底本「九かい」))の鱗(いろくづ)((「鱗」は底本「色くつ」))を救はんと思ふ願あり』とて、みづから宝前より出でて、岩の上に現はれまします。岩のそばに桜の木一本あり。高潮満つ折は、この木の梢(こずゑ)に宿り、さらぬ折は、岩の上におはします」と申せば、あまねき御誓ひも頼もしく覚え給ひて、一・二日のどかに参るべき心地して、汐合(しほあひ)といふ所に、大宮司(おほみやづかさ)((大中臣康雄))といふ者の宿所に宿を借る。 いと情けあるさまに、ありよき心地して、またこれにも二・三日経るほどに、「二見浦(ふたうみのうら)は月の夜こそおもしろく侍れ」とて、女房ざまも引き具してまかりぬ。まことに心とどまりて、おもしろくもあはれにも言はん方なきに、夜もすがら渚にて遊びて、明くれば帰り侍るとて、   忘れじな清き渚に澄む月の明け行く空にの残る面影 照月(てるづき)といふ得選(とくせん)は、伊勢の祭主がゆかりあるに、何としてこの浦にあるとは聞こえけるにか、「院の御前にゆかりある女房のもとより」とて文あり。思はずに不思議なる心地しながら、開けて見れば、二見浦の月に慣れて、雲居の面影は忘れ果てにけるにや。思ひ寄らざりし御物語も、今一度(ひとたび)」など、細やかに御気色あるよし、申したりしを((「申したりしを」は底本「申さりしを」。「申されしを」と読む説もある。))見し心の中(うち)、われながらいかばかりとも分きがたくこそ。 御返しには、   思へただなれし雲居の夜半の月ほかにすむにも忘れやはする [[towazu4-27|<>]] ===== 翻刻 ===== 侍きまことやこあさくまの宮と申はかかみつくりの明神のて うせう大神の御すかたをうつされたりける御かかみを人かぬすみ たてまつりてとかやふちにしつめをきまいらせけるをとりた てまつりてほうせむにおさめたてまつりけれは我九かいの色 くつをすくはんとおもふくはんありとて身つからほうせんより/s195r k4-58 いてていはのうへにあらはれましますいはのそはにさくらの木一ほん ありたかしほみつをりはこの木のこすゑにやとりさらぬをりは いはのうへにおはしますと申せはあまねき御ちかひもたのもしく おほえ給て一二日のとかにまいるへき心ちしてしほあひといふ所に 大宮つかさといふ物ゝしゆく所にやとをかるいとなさけあるさまに ありよき心ちして又これにも二三日ふるほとにふたみのうらは月の 夜こそおもしろく侍れとて女はうさまもひきくしてまかりぬ まことに心ととまりておもしろくもあはれにもいはんかたなきによも すからなきさにてあそひてあくれはかへり侍とて    わすれしなきよきなきさにすむ月のあけゆく空にのこる面かけ てる月といふとくせんはいせのさいしゆかゆかりあるになにとし/s195l k4-59 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/195 てこのうらにあるとはきこえけるにか院の御前にゆかりある女はう のもとよりとてふみありおもはすにふしきなる心ちしなから あけてみれはふた見のうらの月になれてくもゐのおもかけは わすれはてにけるにやおもひよらさりし御物かたりもいま一たひ なとこまやかに御気色あるよし申さりしをみし心のうち我な からいかはかりともわきかたくこそ御返には    おもへたたなれし雲井の夜半の月ほかにすむにもわすれやはする/s196r k4-60 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/196 [[towazu4-27|<>]]