とはずがたり ====== 巻4 22 法隆寺より当麻へ参りたれば・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu4-21|<>]] 法隆寺より当麻(たへま)((二上山禅林寺・当麻寺))へ参りたれば、「横佩(よこはき)の大臣(おとど)((藤原豊成))の女(むすめ)((中将姫))、生身(しやうじん)の如来を拝み参らせんと誓ひてけるに、尼一人来たりて、『十たん((「十駄」か。))の蓮の茎を賜はりて、極楽の荘厳(しやうごん)織りて見せ参らせん』とて、乞ひて、糸を引きて、染井(そめのゐ)((「染井」は底本「そめのとゐ」。「染殿井(そめどのゐ)」と読む説もある。))の水にすすげば、この糸五色(ごしき)に染まりけるをぞしたためたる所へ、女房一人来たりて、油を乞ひつつ、亥の時より寅の時に織り出だして帰り給ふを、坊主((中将姫))、『さても、いかにしてかまた会ひ奉るべき』と言ふに、  『往昔迦葉説法所 (わうじやくかせふせつぽうじよ)   今来法基作仏事 (こんらいほふきさくぶつじ)((「さくぶつじ」は底本「さんふつし」))   卿懇西方故我来 (きやうこんさいはうこがらい)   一入是場永離苦 (いちにふぜぢやうやうりく)』 とて、西方を指して飛び去り給ひぬ」と、書き伝へたるも、ありがたく貴し。 太子の御墓((聖徳太子の墓))は、石のたたずまひも、まことにさる御陵(みささぎ)と思えて、心とどまる折節、如法経を行ふも結縁(けちえん)嬉しくて、小袖を一つ参らせて帰り侍りぬ。 かやうにしつつ、年も返りぬ。 [[towazu4-21|<>]] ===== 翻刻 ===== はしこもりぬほうりうしよりたへまへまいりたれはよこはきの 大臣のむすめしやうしんの如らいをおかみまいらせんとちかひて けるにあま一人きたりて十たんのはすのくきをたまはりてこくら くのしやうこんをりてみせまいらせんとてこひていとをひきて そめのとゐの水にすすけはこのいと五しきにそまりけるをそ したためたる所へ女房一人きたりてあふらをこいつつゐの時より とらの時にをりいたして返り給ふをはうすさてもいかにしてか 又あひたてまつるへきといふに    わうしやくかせうせつほう所 こんらいほうきさんふつし    きやうこんさい方こからい 一入せちやうやうりく/s187r k4-42 とてさいはうをさしてとひさり給ぬとかきつたへたるもありかた くたうとしたいしの御はかはいしのたたすまゐもまことにさるみ ささきとおほえて心ととまるをりふしによほうきようををこなふ もけちえんうれしくてこ袖を一まいらせてかへり侍ぬかやうにし つつとしもかへりぬ二月のころにや都へかへりのほるついて/s187l k4-43 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/187 [[towazu4-21|<>]]