とはずがたり ====== 巻4 20 明けぬれば法華寺へ尋ね行きたるに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu4-19|<>]] 明けぬれば、法華寺へ尋ね行きたるに、冬忠の大臣(おとど)((大炊御門冬忠))の女、寂円房と申して、一の室(むろ)といふ所に住まるるに会ひて、生死無常(しやうじむじやう)の情けなきことわりなど申して、「しばしかやうのてらにも住まひぬべきか」と思へども、心のどかに学問などしてありぬべき身の思ひとも、われながら思えねば、ただいつとなき心の闇に誘はれ出でて、また奈良の寺((興福寺))へ行くほどに、春日の正の預(あづかり)祐家((中臣祐家))といふ者が家に行きぬ。 誰かもととも知らで過ぎ行くに、棟門(むねかど)のゆゑゆゑしきが見ゆれば、「堂などにや」と思ひて立ち入りたるに、さにてはなくて、よしある人の住まひと見ゆ。庭に菊の籬(まがき)、ゆゑあるさまして、移ろひたる匂ひも九重(ここのへ)に変る色ありとも見えぬに、若き男一・二人出で来て、「いづくより通る人ぞ」など言ふに、「都の方(かた)より」と言へば、「かたはらいたき菊の籬も目恥しく」など言ふもよしありて、祐家が子、権の預祐永((中臣祐永))などぞ、この男は言ふなる。祐敏美濃権守((中臣祐敏))、兄弟(おととい)なり。   九重のほかに移ろふ身にしあれば都はよそにきくの白露 と札に書きて、菊に付けて出でぬるを、見付けにけるにや、人を走らかして、やうやうに呼び返して、さまざまもてなしなどして、「しばし休みてこそ」など言へば、例のこれにもまたとどまりぬ。 [[towazu4-19|<>]] ===== 翻刻 ===== しくたうとくこそおほえ侍しかあけぬれは法花寺へた つね行たるに冬たたのおととの女寂円房と申て一の/s185l k4-39 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/185 むろといふ所にすまるるにあひてしやうしむしやうのなさけなき ことはりなと申てしはしかやうのてらにもすまゐぬへきかとお もへとも心のとかにかくもんなとしてありぬへき身のおもひとも 我なからおほえねはたたいつとなき心のやみにさそはれいてて 又ならの寺へゆくほとに春日の正のあつかりすけいゑといふ物か いゑに行ぬたれかもとともしらてすき行にむねかとのゆへゆへ しきかみゆれはたうなとにやと思てたち入たるにさにては なくてよしある人のすまゐとみゆにはにきくのまかきゆへ あるさましてうつろひたるにほひもここのへにかはる色ありとも みえぬにわかきおとこ一二人いてきていつくよりとをる人そなと いふに都のかたよりといへはかたはらいたききくのまかきもめはつ/s186r k4-40 かしくなといふもよしありてすけいゑか子権のあつかりすけ なかなとそこのおとこはいふなるすけとしみのの権のかみをとと いなり    ここのへのほかにうつろふ身にしあれは都はよそにきくのしら露 とふたにかきてきくにつけていてぬるをみつけにけるにや 人をはしらかしてやうやうによひかへしてさまさまもてなしなと してしはしやすみてこそなといへはれいのこれにも又ととまりぬ中/s186l k4-41 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/186 [[towazu4-19|<>]]