とはずがたり ====== 巻4 14 軒端の梅に木伝ふ鶯の音におどろかされても・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu4-13|<>]] 軒端(のきば)の梅に木伝(こづたふ)ふ鶯((「鶯」は底本「うくひ」。))の音(ね)におどろかされても、あひ見返らざる恨み忍びがたく、昔を思ふ涙は、改まる年ともいはず、ふるものなり。 如月の十日あまりのほどにや、善光寺へ思ひ立つ。碓氷坂(うすひざか)((碓氷峠))、木曽の懸路(かけぢ)の丸木橋(まろきばし)、げに踏み見るからに危ふげなる渡りなり。道のほどの名所なども、やすらひ見たかりしかども、大勢に引き具せられて、ことしげかりしかば、何となく過ぎにしを、思ひのほかにむつかしければ、宿願の心ざしありて、しばしこもるべきよしを言ひつつ、帰(かへ)さには留まりぬ。 一人留め起くことを心苦しがり言ひしかば、「中有(ちゆうう)の旅の空には誰か伴ふべき。生ぜし折も一人来たりき。去りて行かん折も、またしかなり。あひ会ふ者は必ず別れ、生ずる者は死に必ず至る。桃花(たうくわ)装ひいみじといへども、ついには根に帰る。紅葉(こうえふ)は千入(ちしほ)の色を尽して盛りありといへども、風を待ちて秋の色久しからず。名残を慕ふは一旦(いたん)の情けなり」など言ひて、一人留まりぬ。 所のさまは、眺望などはなけれども、生身(しやうじん)の如来((「如来」は底本「女らい」。))と聞き参らすれば、頼もしく覚えて、百万遍の念仏など申して、明かし暮らすほどに、高岡の石見の入道((和田石見入道仏阿か。))といふ者あり。いと情けある者にて、歌常に詠み、管絃(くわげん)などして遊ぶとて、かたへなる修行者・尼に誘はれてまかりたりしかば、まことにゆゑある住まひ、辺土分際(へんどぶんざい)には過ぎたり。かれと言ひこれと言ひて、慰む便りもあれば、秋までは留まりぬ。 [[towazu4-13|<>]] ===== 翻刻 ===== しもかへりぬのきはの梅に木つたふうくひのねにおとろ かされてもあひみかへらさるうらみしのひかたくむかしをおもふ涙 はあらたまるとしともいはすふる物なりきさらきの十日あまり のほとにやせんくわう寺へ思たつうすいさかきそのかけちのま ろきはしけにふみみるからにあやうけなるわたりなりみちの ほとの名所なともやすらひみたかりしかとも大せいにひきく せられてことしけかりしかはなにとなくすきにしをおもひの ほかにむつかしけれはしゆくくはんの心さしありてしはし こもるへきよしをいひつつかへさにはととまりぬひとりととめを くことを心くるしかりいひしかは中うのたひの空にはたれ/s180r k4-28 かともなふへきしやうせしをりも一人きたりきさりてゆかん をりも又しかなりあひあふ物はかならすわかれしやうする物はしに かならすいたるたう花よそをいいみしといへともつゐにはねに かへるこうゑうは千しほの色をつくしてさかりありといへと も風をまちて秋の色ひさしからすなこりをしたふはいたん のなさけなりなといひてひとりととまりぬ所のさまはて うはうなとはなけれともしやうしんの女らいとききまいらすれは たのもしくおほえて百万へんのねんふつなと申てあかしくら すほとにたかをかのいわみの入たうといふ物ありいとなさけある 物にて哥つねによみくわけんなとしてあそふとてかたへなる しゆ行しやあまにさそはれてまかりたりしかはまことにゆへ/s180l k4-29 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/180 あるすまゐへんとふんさいにはすきたりかれといひこれといひ てなくさむたよりもあれは秋まてはととまりぬ八月のはしめ/s181r k4-30 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/181 [[towazu4-13|<>]]