とはずがたり ====== 巻4 12 すでに将軍御着きの日になりぬれば・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu4-11|<>]] すでに将軍((久明親王))御着きの日になりぬれば、若宮小路は所もなく立ち重なりたり。御関迎への人々、はや先陣は進みたりとて、二・三十、四・五十騎、ゆゆしげにて過ぐるほどに、はやこれへとて、召し次ぎなど体(てい)なる姿に、直垂着たる者、小舎人(こどねり)((「小舎人」は底本「こてのり」))とぞいふなる、二十人ばかり走り立ち、その後、大名ども、思ひ思ひの直垂に、うち群れうち群れ、五・六町にも続きぬと覚えて過ぎぬる後、女郎花(をみなへし)の浮織物(うきおりもの)の御下衣にや召して、御輿の御簾開けられたり。 後に飯沼の新左衛門((平資宗・飯沼資宗))、木賊(とくさ)の狩衣にて供奉したり。ゆゆしかりしことどもなり。御所には、当国司((北条貞時))・足利((足利貞氏))より、みなさるべき人々 は布衣(ほうい)なり。御馬引かれなどする儀式、めでたく見ゆ。 三日に当たる日は、山内(やまのうち)といふ相模殿((北条貞時))の山荘へ御入りなどとて、めでたく聞こゆることどもを見聞くにも、雲居の昔の御ことも思ひ出でられてあはれなり。 [[towazu4-11|<>]] ===== 翻刻 ===== あるへきなとにて帰ぬすてに将くん御つきの日になりぬれは わか宮こうちは所もなくたちかさなりたり御せきむかへの人々/s177l k4-23 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/177 はやせんちんはすすみたりとて二三十四五十きゆゆしけにて すくるほとにはやこれへとてめしつきなとていなるすかたにひたた れきたる物こてのりとそいふなる廿人はかりはしりたちその のち大みやうともおもひおもひのひたたれにうちむれうちむれ五六ちやう にもつつきぬとおほえてすきぬるのちをみなへしのうきをり 物ゝ御下きぬにやめして御こしの御すたれあけられたりのちに いいぬまの新さへもんとくさのかりきぬにてくふしたりゆゆしかり しことともなり御所には当国司あしかかよりみなさるへき人々 はほういなり御むまひかれなとするきしきめてたくみゆ三日に あたる日は山のうちといふさかみとののさんさうへ御入なととてめてた くきこゆることともを見きくにもくもゐのむかしの御こともおもひ/s178r k4-24 いてられてあはれなりやうやうとしのくれにもなりゆけはことし/s178l k4-25 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/178 [[towazu4-11|<>]]