とはずがたり ====== 巻4 8 かくて荏柄二階堂大御堂などいふ所ども拝みつつ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu4-07|<>]] かくて荏柄(えがら)((荏柄天神社。底本「えかう」。))・二階堂((永福寺))・大御堂(おほみだう)((勝長寿院))などいふ所ども拝みつつ、大蔵の谷(やつ)といふ所に、小町殿((女房名。))とて将軍((惟康親王。「将軍」は底本「ゐくん」。))に候ふは、土御門の定実((土御門定実。作者又従兄弟。))のゆかりなれば、文つかはしたりしかば、「いと思ひ寄らず」と言ひつつ、「わがもとへ」とてありしかども、なかなかむつかしくて、近きほどに宿を取りて侍りしかば、「頼りなくや」など、さまざまとぶらひおこせたるに、道のほどの苦しさも、しばしいたはるほどに、善光寺の先達(せんだち)に頼みたる人、卯月の末つかたより大事に病み出だして、前後を知らず。あさましとも言ふばかりなきほどに、少しおこたるにやと見ゆるほどに、わが身、またうち臥しぬ。 二人になりぬれば、人も、「いかなることにか」と言へども、「ことさらなることにてはなし。ならはぬ旅の苦しさに、持病の起こりたるなり」とて、医師(くすし)などは申ししかども、今はといふほどなれば、心細さも言はん方なし。さほどなき病だにも、風の気、鼻垂りといへども、少しも煩はしく((「煩はしく」は底本「につらはしく」。))、二・三日にも過ぎぬれば、陰陽(おんやう)・医道の漏るるはなく、家に伝へたる宝、世に聞こえある名馬まで、霊社・霊仏に奉る。南嶺(なんれい)の橘、玄圃(げんぽ)の梨、わがためにとのみこそ騒がれしに、病の床(ゆか)に臥して、あまた日数は積もれども、神にも祈らず、仏にも申さず、何を食ひ、何を用ゐるべき沙汰にも及ばで、たたうち臥したるままにて明かし暮らすありさま、生(しやう)を変へたる心地すれども、命は限りあるものなれば、水無月のころよりは心地もおこたりぬれども、なほ物参り思ひ立つほどの心地はせで、ただよひ歩(あり)きて、月日むなしく過ぐしつつ、八月にもなりぬ。 [[towazu4-07|<>]] ===== 翻刻 ===== たるかくてえかう二かいたう大みたうなといふ所ともをかみつつ おほくらのやつといふ所にこまちとのとてゐくんに候はつちみ かとのさたさねのゆかりなれはふみつかはしたりしかはいとお もひよらすといひつつ我もとへとてありしかとも中々むつ かしくてちかきほとにやとをとりて侍しかはたよりなくや なとさまさまとふらひをこせたるにみちのほとのくるしさもしは しいたはるほとにせん光寺のせんたちにたのみたる人卯 月のすゑつかたより大事にやみいたしてせんこをしらす あさましともいふはかりなきほとにすこしをこたるにやと見 ゆるほとに我身又うちふしぬふたりになりぬれは人も いかなることにかといへともことさらなることにてはなしならはぬ/s172r k4-12 旅のくるしさにちひやうのをこりたるなりとてくすしな とは申しかともいまはといふほとなれは心ほそさもいはんかた なしさほとなきやまひにたにも風の気はなたりといへとも すこしもにつらはしく二三日にもすきぬれはをんやう いたうのもるるはなくいゑにつたへたるたからよにきこえある名 馬まてれいしやれいふつにたてまつるなんれいのたち花 けんほのなし我ためにとのみこそさわかれしにやまひのゆ かにふしてあまた日かすはつもれとも神にもいのらすほとけ にも申さすなにをくいなにをもちいるへきさたにもをよ はてたたうちふしたるままにてあかしくらすありさま生 をかへたる心ちすれともいのちはかきりある物なれはみな月/s172l k4-13 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/172 のころよりは心ちもをこたりぬれともなを物まいりおもひ たつほとの心ちはせてたたよひありきて月日むなし くすくしつつ八月にもなりぬ十五日のあしたこまち/s173r k4-14 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/173 [[towazu4-07|<>]]