とはずがたり ====== 巻4 7 明くれば鎌倉へ入るに極楽寺といふ寺へ参りて見れば・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu4-06|<>]] 明くれば鎌倉へ入るに、極楽寺といふ寺へ参りて見れば、僧の振舞ひ都に違(たが)はず、なつかしく覚えて見つつ、化粧坂(けはひざか)といふ山を越えて、鎌倉の方を見れば、東山(ひんがしやま)にて京(きやう)を見るには引き違(たが)へて、階(きざはし)などのやうに、重々(ぢゆうぢゆう)に袋の中に物を入れたるやうに住まひたる。「あなものわびし」と、やうやう見えて、心とどまりぬべき心地もせず。 由比の浜といふ所へ出でて見れば、大きなる鳥居あり。若宮の御社(やしろ)はるかに見え給へば、「『他(た)の氏よりは』とかや誓ひ給ふなるに、契りありてこそさるべき家にと生まれけめに、いかなる報いならん」と思ふほどに、まことや、父の生所(しやうじよ)を祈誓申したりし折、「今生の果報に替ゆる」と承りしかば、恨み申すにてはなけれども、袖を広げんをも歎くべからず。また、小野小町も衣通姫(そとほりひめ)が流れといへども、簣(あじか)を肘(ひぢ)にかけ、蓑を腰に巻きても、身の果てはありしかども、「わればかり物思ふ((『伊勢物語』27段「わればかり物思ふ人はまたもあらじと思へば水の下にもありけり」。ただし、小野小町とは無関係。[[towazu4-05|4-05]]にも見られる。))」とや書き置きしなど思ひ続けても、まづ御社へ参りぬ。 所のさまは男山(をとこやま)の景色よりも海見(うみみ)遥かしたるは見所ありとも言ひぬべし。大名ども、浄衣(しやうえ)などにはあらで、色々の直垂にて参り((「参り」は底本「まいる」))出づるも、やう変はりたる。 [[towazu4-06|<>]] ===== 翻刻 ===== あくれはかまくらへいるに極楽寺といふてらへまいりてみれは そうのふるまひ都にたかはすなつかしくおほえてみつつけ はひさかといふ山をこえてかまくらのかたをみれはひんかし山 にてきやうをみるにはひきたかへてきさはしなとのやうに ちうちうにふくろの中に物を入たるやうにすまひたるあな 物わひしとやうやうみえて心ととまりぬへき心ちもせす ゆいのはまといふ所へいててみれは大きなるとりゐあり わか宮の御やしろはるかにみえ給へはたのうちよりはとかや/s171r k4-10 ちかひ給なるにちきりありてこそさるへきいへにとむまれ けめにいかなるむくひならんと思ふほとにまことやちちの生 所をきせい申たりしをりこんしやうのくわほうにかゆると うけたまはりしかはうらみ申にてはなけれともそてをひろ けんをもなけくへからすまたをののこまちもそとをりひめ かなかれといへともあしかをひちにかけみのをこしにまき ても身のはてはありしかとも我はかり物おもふとやかき をきしなとおもひつつけてもまつ御やしろへまいりぬ所 のさまはおとこ山のけしきよりもうみみはるかしたるは 見ところありともいひぬへし大名ともしやうゑなと にはあらて色々のひたたれにてまいるいつるもやうかはり/s171l k4-11 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/171 たるかくてえかう二かいたう大みたうなといふ所ともをかみつつ/s172r k4-12 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/172 [[towazu4-06|<>]]