とはずがたり ====== 巻3 35 またの日は行幸還御の後なれば衛府の姿もいとなく・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu3-34|<>]] またの日は、行幸還御の後なれば、衛府((「衛府」は底本「よう」。[[towazu3-34#fnt__49|3-34注49]]参照。))の姿もいとなく、うち解けたるさまなり。午の時ばかりに、北殿より西園寺へ筵道(えんだう)を敷く。両院((後深草院・亀山院))、御烏帽子・直衣、春宮((後の伏見天皇))、御直衣に括り上げさせおはします。 堂々御巡礼ありて、妙音堂に御参りあり。今日の御幸を待ち顔なる花の、ただ一木見ゆるも、「ほかの散りなん後」とは誰か教へけんとゆかしきに、御遊あるべしとてひしめけば、衣被(きぬかづ)きにまじりつつ、人々あまた参るに、誰も誘はれつつ見参らすれば、両院・春宮、内に渡らせ給ふ。廂(ひさし)に、笛、花山院大納言((花山院長雅))。笙、左衛門督((西園寺公衡。「左衛門督」は底本「厄衛門督」。))。篳篥(ひちりき)、兼行((楊梅兼行))。琵琶、春宮御方、大夫((西園寺実兼))、琴。太鼓、具顕(ともあ き)((源具顕))。羯鼓(かこ)、範藤((藤原範藤))、調子盤渉調(ばんしきてう)にて、採桑老(さいしやうらう)・蘇合(そがう)三の帖・破・急・白柱(はくちゆう)・千秋楽。兼行、「花上苑に明きらかなり」と詠ず。ことさら物の音ととのほりておもしろきに、二返終りて後、「情けなきことを機婦に妬む」と、一院((後深草院))詠ぜさせおはしましたるに、新院・春宮御声加へたるは、なべてにや聞こえん。楽終りぬれば、還御あるも、飽かず御名残多くぞ、人々申し侍りし。 何となく世の中の華やかにおもしろきを見るにつけても、かきくらす心の中(うち)は、さし出でつらむも悔しき心地して、妙音堂の御声名残り悲しきままに、御鞠など聞こゆれども、さしも出でぬに、隆良((四条隆良))、「文」とて持ちて来たり。「所違(たが)へにや」と言へども、しひて賜はすれば、開けたるに、   「かき絶えてあられやするとこころみに積もる月日をなどか恨みぬ なほ忘れぬは、かなふまじきにや。年月のいぶせさも今宵こそ((後深草院の手紙))」などあり。 御返事には、  かくて世にありと聞かるる身の憂さを恨みてのみぞ年は経にける とばかり申したりしに、御鞠果てて、酉の終りばかりに、うち休みてゐたる所へ、ふと入らせおはします。「ただ今、御舟に召さるるに、参れ」と仰せらるるに、「何のいさましさにか」と思ひて、立ちも上がらぬを、「ただ、褻(け)なるにて」とて、袴の腰結ひ何かせさせ給ふも、「いつよりまたかくもなり行く御心にか」と二年(ふたとせ)の御恨めしさの慰むには((「には」は底本「もは」))あらねども、さのみすまひ申すべきにあらねば、涙の落つるをうち払ひて、さし出でたるに、暮れかかるほどに、釣殿(つりどの)より御舟に召さる。 まづ春宮の御方、女房、大納言殿・右衛門督殿・かうの内侍殿、これらは物具(もののぐ)なり。小さき御舟に両院召さるるに、これは三つ衣(きぬ)に薄衣(うすぎぬ)・唐衣(からぎぬ)ばかりにて参る。東宮の御舟に召し移る。管絃の具入れらる。小さき舟に公卿たち、端舟(はしぶね)に付けられたり。花山院大納言、笛。左衛門督、笙。兼行、篳篥。春宮御方、琵琶。女房衛門督殿、琴。具顕、太鼓。大夫、羯鼓。 飽かず思し召されつる妙音堂の昼の調子を移されて、盤渉調なれば、蘇合の五の帖、輪台(りんだい)・青海波(せいがいは)・竹林楽(ちくりんらく)・越天楽(ゑてんらく)など、いく返といふ数知らず。兼行、「山また山((『和漢朗詠集』雑 山水 大江澄明「山復山 何工削成青巌之形 水復水 誰家染出碧澗之色」))」とうち出だしたるに、「変態繽紛(へんたいひんぷん)たり」と、両院の付け給ひしかば、「水の下にも耳驚くものや」とまで思え侍りし。 釣殿遠く漕ぎ出でて見れば、旧苔(きうたい)年経たる松の枝さしかはしたるありさま、庭の池水、言ふべくもあらず。漫々たる海の上に漕ぎ出でたらむ心地して、「二千里の外(ほか)に来にけるにや((『白氏文集』四 新楽府))」など仰せありて、新院、御歌、   雲の波煙の波を分けてけり 「管絃にこそ誓ひありとて、心強からめ。これをば付けよ」と当てられしも、うるさながら、   行く末遠き君の御代とて 春宮大夫((西園寺実兼))、   昔にもなほ立ち越えて貢ぎ物 具顕、   曇らぬ影も神のまにまに 春宮の御方、   九十(ここのそぢ)になほも重ぬる老いの波 新院、   立居苦しき世の習ひかな   ((以下作者の歌))憂きことを心一つに忍ぶれば 「と、申され候ふ心の中の思ひは、われぞしり侍る」とて、富小路殿の御所((後深草院))、   絶えず涙に有明の月 「この有明の子細、おぼつかなく」など御沙汰あり。 暮れぬれば、行啓けいに参りたる掃部寮(かもんれう)、所々に立明(たてあかし)して、還御急がし奉る気色見ゆるも、やう変りておもしろし。ほどなく釣殿に((「釣殿に」は底本「つりとのゝ」。))御舟付けぬれば、降りさせおはしますも、飽かぬ御ことどもなりけん。 からき((「からき」は底本「かしき」。))憂き寝の床(とこ)に浮き沈みたる身の思ひは、よそにも推し量られぬべきを、安の河原にもあらねばにや、言問ふ方のなきぞ悲しき。 [[towazu3-34|<>]] ===== 翻刻 ===== 春のつかさめしあるへしとていそかるるとそきこえ侍し又 の日は行かうくわん御ののちなれはようのすかたもいとなく うちとけたるさまなりむまの時はかりにきたとのよりさいをん 寺へゑんたうをしく両院御ゑほしなをし春宮御なをしにくくり あけさせおはしますたうたう御しゆんれいありてめうおん たうに御まいりありけふの御ゆきを待かほなる花のたた一木 みゆるもほかのちりなんのちとはたれかをしへけんとゆかしき に御遊あるへしとてひしめけはきぬかつきにましりつつ人々/s156l k3-87 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/156 あまたまいるにたれもさそはれつつ見まいらすれは両院春 宮うちにわたらせ給ひさしにふえ花山院大納言しやう厄 衛門督ひちりきかね行ひは春宮御かた大夫こと大こともあ きかこのりふちてうしはんしきてうにてさいしやうらうそ かう三のてうはきうはくちう千秋らくかね行花しやう ゑんにあきらかなりとゑいすことさら物のねととのほりて おもしろきに二へんをはりてのちなさけなきことをきふに ねたむと一院ゑいせさせおはしましたるに新院東宮御 こゑくわへたるはなへてにやきこへんかくをはりぬれはくわん御 あるもあかす御名残ををくそ人々申侍し何となく世の 中のはなやかにをもしろきをみるにつけてもかきくらす心の/s157r k3-88 中はさしいてつらむもくやしき心ちしてめうをんたうの 御こゑなこりかなしきままに御まりなときこゆれともさしも いてぬにたかよし文とてもちてきたり所たかへにやといへとも しゐてたまはすれはあけたるに  かきたえてあられやすると心みにつもる月日をなとかうらみぬ なをわすれぬはかなふましきにやとし月のいふせさもこよひ こそなとあり御返事には  かくて世にありときかるる身のうさを恨てのみそ年はへにける とはかり申たりしに御まりはててとりのをはりはかりにうち やすみてゐたる所へふといらせおはしますたた今御ふねにめさるる にまいれとおほせらるるになにのいさましさにかとおもひて/s157l k3-89 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/157 たちもあからぬをたたけなるにてとてはかまのこしゆひなにか せさせたまふもいつより又かくもなり行御心にかとふたとせ の御うらめしさのなくさむもはあらねともさのみすまい申へきに あらねはなみたのおつるをうちはらひてさしいてたるに くれかかるほとにつりとのより御ふねにめさるまつ春宮 の御かた女はう大納言との右衛門督とのかうのないしとのこれらは もののくなりちいさき御ふねに両院めさるるにこれは三きぬ にうすきぬからきぬはかりにてまいる東宮の御ふねにめし うつるくわんけんのく入らるちいさきふねに公卿たちはしふねに つけられたり 花山院大納言(ふえ)左衛門督(しやう)かねゆき(ひちりき)/s158r k3-90 春宮御かた(ひわ)女はう衛門督との(こと)ともあき(大こ)大夫(かこ) あかすおほしめされつるめうをんたうのひるのてうしをうつされて はんしきてうなれはそかうの五のてうりんたいせいかいは ちくりんらくゑてんらくなといく返といふかすしらすかね行山 又山とうちいたしたるにへんたいひんふんたりと両院のつけ 給しかは水のしたにもみみをとろく物やとまておほえ侍し つり殿とをくこきいててみれはきうたいとしへたる松の枝さし かはしたるありさまにはの池水いふへくもあらすまんまんたる うみのうへにこき出たらむ心ちして二千里の外にきに けるにやなとおほせありて新院御哥  くものなみけふりのなみをわけてけりくわんけむにこそ/s158l k3-91 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/158 ちかひありとて心つよからめこれをはつけよとあてられしも うるさなから   行末とをき君の御代とて 春宮大夫   むかしにも猶たちこえてみつき物 ともあき   くもらぬかけも神のまにまに 春宮の御かた   九そちになをもかさぬるおひのなみ 新院   たちゐくるしきよのならひかな/s159r k3-92   うきことを心ひとつにしのふれはと申され候心の中の おもひはわれそしり侍とてとみのかうちとのの御所   たえすなみたに有明の月 この有明のしさいおほつかなくなと御さたありくれぬれは行 けいにまいりたるかもんれう所々にたてあかしして 還御いそかしたてまつるけしきみゆるもやうかはりておもし ろし程なくつりとのの御ふねつけぬれはをりさせおはしますも あかぬ御ことともなりけんかしきうきねのとこにうきしつみ たる身のおもひはよそにもをしはかられぬへきをやすのかはら にもあらねはにやこととふかたのなきそかなしきまこと/s159l k3-93 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/159 [[towazu3-34|<>]]