とはずがたり ====== 巻3 28 如月のころは彼岸の御説法・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu3-27|<>]] 如月のころは、彼岸の御説法((「説法(せつぽう)」を「懺法(せんぼう)」の誤写とする説もある。))、両院((後深草院・亀山院))、嵯峨殿の御所にてあるにも、去年(こぞ)の御面影((有明の月))身を離れず、あぢきなきままには、生身二転の釈迦を申せば、「唯我一人の誓ひあやまたず、迷ひ給ふらむ道のしるべし給へ」とのみぞ思ひ続け侍りし。   恋ひ忍ぶ袖の涙や大井川逢ふ瀬ありせば身をや捨てまし とにかくに思ふもあぢきなく、世のみ恨めしければ、「底の水屑(みくづ)となりやしなまし」と思ひつつ、何となき古反故(ふるほうご)など取りしたたむるほどに、「さても、二葉なる嬰児(みどりご)の行く末を、われさへ捨てなば、誰かはあはれをもかけむ」と思ふにぞ、「道のほだしはこれにや」と思ひ続けられて、面影もいつしか恋ひしく侍りし。   尋ぬべき人もなぎさに生ひそめし松はいかなる契りなるらん [[towazu3-27|<>]] ===== 翻刻 ===== はすゑもとてたえすこととふ人にてはありけるきさらきの 此はひかんの御せつほう両院さかとのの御所にてある にもこその御おもかけ身をはなれすあちきなきままには 生身二てんの尺迦を申せはゆいか一人のちかひあやまたすまよ ひたまふらむみちのしるへしたまへとのみそおもひつつけ侍し   恋しのふ袖のなみたや大井川あふせありせは身をやすてまし とにかくにおもふもあちきなく世のみうらめしけれはそこのみく つとなりやしなましとおもひつつ何となきふるほうこ なととりしたたむる程にさても二葉なるみとりこの 行すゑを我さへすてなはたれかはあはれをもかけむと おもふにそ道のほたしはこれにやとおもひつつけられ/s144r k3-62 ておもかけもいつしか恋しく侍し   たつぬへき人もなきさにおひそめし松はいかなる契なるらん/s144l k3-63 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/144 [[towazu3-27|<>]]