とはずがたり ====== 巻3 26 このたびの有様はことに忍びたきままに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu3-25|<>]] このたびの有様は、ことに忍びたきままに、東山の辺(へん)にゆかりある人のもとにこもりゐたれども、とりわき訪(と)め来る人((「人」は底本「心」。))もなく、身を変へたる心地せしほどに、八月二十日のころ、その気色ありしかども、先のたびまては、忍ぶとすれども言問(ことと)ふ人もありしに、峰の鹿の音を友として明かし暮らすばかりにてあれども、ことなく男(をのこ)にてあるを見るにも、いかでかあはれならざらむ。 「鴛鴦(をし)といふ鳥になると見つる(([[towazu3-19|3-19]]参照))」と聞きし夢のままなるも、「げにいいかなる事にか」と悲しく、「わが身こそ、二つにて母に別れ、面影をだにも知らぬことを悲しむに、これはまた、父に腹の中にて先立てぬるこそ、いかばかりか思はん」など思ひ続けて、傍ら去らず置きたるに、折節、乳(ち)など持ちたる人だになしとて、尋ねかねつつ、わがそばに臥せたるさへあはれなるに、この寝たる下のいたう濡れにければ、いたはしく、急ぎて((「急ぎて」は底本「いるゝて」))抱(いだ)きのけて、わが寝たる方に臥せしにこそ、げに深かりける心ざしも、初めて思ひ知れしか。 しばしも手を放たんことは名残惜しくて、四十日あまりにや、みづからもてあつかひ侍りしに、山崎といふ所より、さりぬべき人を語らひ寄せて後も、ただ床(ゆか)を並べて臥せ侍りしかば、いとど御所((「御所」は底本「か所」))ざまのまじろひも物憂き心地して、冬にもなりぬるを、「さのみもいかに」と召しあれば、神無月の初めつかたよりまたさし出でつつ、年も返りぬ。 [[towazu3-25|<>]] ===== 翻刻 ===== かくれにしははかりにことよせてまかりいてぬこのたひの ありさまはことにしのひたきままに東山のへむにゆかり ある人のもとにこもりゐたれともとりわきとめくる心も なく身をかへたる心地せしほとに八月廿日の比そのけしき/s142l k3-59 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/142 ありしかともさきのたひまてはしのふとすれともこととふ人 もありしに峰のしかのねを友としてあかしくらすはかり にてあれともことなくをのこにてあるをみるにもいかてかあは れならさらむをしといふ鳥になると見つるとききし夢の ままなるもけにいいかなる事にかとかなしく我身こそ二にて ははにわかれおもかけをたにもしらぬことをかなしむにこれは またちちにはらの中にてさきたてぬるこそいかはかりかおも はんなとおもひつつけてかたはらさらすをきたるに おりふしちなともちたる人たになしとてたつねかねつつ 我そはにふせたるさへあはれなるにこのねたる下のいた うぬれにけれはいたはしくいるるていたきのけて我ねた/s143r k3-60 るかたにふせしにこそけにふかかりける心さしもはしめて おもひしれしかしはしも手をはなたんことは名こりおし くて四十日あまりにやみつからもてあつかひ侍しに山さき といふ所よりさりぬへき人をかたらひよせてのちもたたゆ かをならへてふせ侍しかはいととか所さまのましろひも物うき 心ちして冬にもなりぬるをさのみもいかにとめしあれは 神無月のはしめつかたより又さし出つつ年もかへりぬことし/s143l k3-61 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/143 [[towazu3-25|<>]]