とはずがたり ====== 巻3 23 改まる年ともいはぬ袖の涙に浮き沈みつつ正月十五日にや・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu3-22|<>]] 改まる年ともいはぬ袖の涙に浮き沈みつつ、正月十五日にや、御四十九日((有明の月の四十九日))なりしかば、ことさら頼みたる聖のもとへまかりて、布薩(ふさつ)のついでに、かの御心ざしありし金(かね)を少し取り分けて、諷誦(ふじゆ)の御布施に奉りし包み紙に、   このたびは待つ暁のしるべせよさても絶えぬる契りなりとも 能説(のうぜつ)の聞こえある聖なればにや、ことさら聞く所ありしも、袖のひまなき中に、また有明の古事(ふるごと)ぞ、ことに耳に立ち侍りし。 つくづくとこもりゐて、如月の十五日にもなりぬ。釈尊円寂の昔も、今日始めたることならねども、わが物思ふ折からは、ことに悲しくて、このほどは例の聖の室(むろ)に法華講讃(ほけかうさん)、彼岸より続きて、二七日ある折節も嬉しくて、日々に諷誦を参らせつるも、誰としあらはすべきならねば、「忘れぬ契り」とばかり書き続くるにつけても、いと悲し。 今日、講讃((「講讃」は底本「かうさつ」))も結願なれば、例の諷誦の奥に、   月を待つ暁までのはるかさに今入りし日の影ぞ悲しき [[towazu3-22|<>]] ===== 翻刻 ===== のつみふかさもかなしくあむせられてとしも返ぬあら たまる年ともいはぬ袖の泪にうきしつみつつ正月十五日にや/s140r k3-54 御四十九日なりしかはことさらたのみたるひしりのもとへまかり てふさつのつゐてにかの御心さしありしかねをすこし とりわけてふしゆの御ふせにたてまつりしつつみかみに   このたひはまつあか月のしるへせよさてもたえぬる契なりとも のうせつのきこえあるひしりなれはにやことさらきく所あ りしも袖のひまなき中にまたあり明のふることそことに みみにたち侍しつくつくとこもりゐてきさらきの十 五日にもなりぬしやくそんゑんしやくのむかしもけふはしめ たることならねとも我物おもふおりからはことにかなしくてこの ほとはれいのひしりのむろにほけかうさんひかんより つつきて二七日あるおりふしもうれしくて日々に/s140l k3-55 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/140 ふしゆをまいらせつるもたれとしあらはすへきならねはわす れぬちきりとはかりかきつつくるに付てもいとかなし けふかうさつもけちくわんなれは例のふしゆのおくに   月を待あかつきまてのはるかさにいま入日の影そかなしき/s141r k3-56 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/141 [[towazu3-22|<>]]