とはずがたり ====== 巻3 16 かくて還御なればこれは法輪の宿願も残りて侍る上・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu3-15|<>]] かくて還御なれば、「これは法輪の宿願も残りて侍る上、今は身もむつかしきほどなれば」と申して、とどまりて里へ出でんとするに、両院御幸、同じやうに還御あり。一院((後深草院))には春宮大夫((西園寺実兼))、新院((亀山院))には洞院の大納言((洞院公守か。))ぞ、後々に参り給ふ。 ひしひしとして還御なりぬる御あとも寂しきに、「今日はこれに候へかし」と大宮の院((後嵯峨院后))の御気色あれば、この御所に候ふに、東二条院((後深草院中宮西園寺公子))よりこそ御文あり。何とも思ひ分かぬほどに、女院御覧ぜられて後、「とは何事ぞ。うつつなや」と仰せごとあり。「何事ならむ」と尋ね申せば、「『その身((作者))をこれにて、女院もてなして、露見の気色ありて、御遊(ぎよゆう)さまざまの御事どもあると聞くこそ、うらやましけれ。古りぬる身なりとも、思し召し放つまじき御事とこそ思ひ参らするに』と、かへすがへす申されたり」とて、笑はせたまふ((「笑はせたまふ」は底本「わたせたまふ」。「渡せ給ふ」と読む説もある。))もむつかしければ、四条大宮なる傅(めのと)がもとへ出でぬ。 [[towazu3-15|<>]] ===== 翻刻 ===== いまさらうき世のならひもおもひしれ侍かくて還御なれ はこれはほうりんの宿願ものこりて侍うへいまは 身もむつかしきほとなれはと申てととまりてさとへ いてんとするに両院御幸おなしやうにくわん御あり一院には/s132r k3-38 春宮大夫新院にはとう院の大納言そのちのちにまいり 給ひしひしとしてくわん御なりぬる御あともさひしきにけふ はこれに候へかしと大宮の院の御けしきあれはこの御所に候に 東二条院よりこそ御ふみあり何ともおもひわかぬほとに 女院御らむせられてのちとは何事そうつつなやとおほせこと あり何事ならむとたつね申せはその身をこれにて女院 もてなしてろけんのけしきありて御遊さまさまの御事 ともあるときくこそうらやましけれふりぬる身なりとも おほしめしはなつましき御こととこそおもひまいらするにと 返々申されたりとてわたせたまふもむつかしけれは四条 大宮なるめのとかもとへいてぬいつしかあり明の御文あり/s132l k3-39 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/132 [[towazu3-15|<>]]