とはずがたり ====== 巻3 14 女院御悩み御脚の気にていたくの御事なければ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu3-13|<>]] 女院((大宮院・後嵯峨院后))御悩み、御脚の気にて、いたくの御事なければ、めでたき御事にて、両院((後深草院・亀山院))、「御喜びのことあるべし」とて、まづ一院の御分(ぶん)、春宮大夫((西園寺実兼))承る。 彩絵(だみゑ)描きたる破子(わりご)十合に、供御(くご)・御肴(みさかな)を入れて、面々の御前に置かる。次々もこの定(ぢやう)なり。これにて三献参りて後、まかり出だして、また白き供御、その後色々の御肴にて、九献参る。大宮の院の御方へ、紅梅・紫、腹は練貫(ねりぬき)にて琵琶、染め物にて琴、作りて参る。新院の御方へ、方磬(ほうきやう)の台を作りて、紫を巻きて、色々の村濃(むらご)の染め物を四方に作りて、守りの緒にて下げて、金(かね)にして、沈(ぢん)の柄(つか)に水晶を入れて、撥(ばち)にして参る。女房たちの中へ、檀紙百、染め物などにて、やうやうの作り物をして置かれ、男の中にも鞦(しりがひ)・色革(いろがは)とかや積み置きなどして、おびたたしき御事にて、夜もすがら御遊びあり。例の御酌に召されて参る。 一院((後深草院))御琵琶、新院((亀山院))御笛、洞院((洞院公守))琴、大宮の院姫宮御琴、春宮大夫((西園寺実兼))琵琶、公衡((西園寺公衡))笙の笛、兼行((楊梅兼行))篳篥(ひちりき)、夜更け行くままに、嵐の山の松風、雲居に響く音すごきに、浄金剛院の鐘ここもとに聞こゆる折節、一院、「都府楼(とふろう)はおのづから((『和漢朗詠集』閑居 菅原道真「都府楼纔看瓦色 観音寺唯聴鐘声」。「おのづから」を「纔(わづか)に」の誤写とみる説もある。))」とかや仰せ出だされたりしに、よろづのことみな尽きて、おもしろくあはれなるに、女院の御方より、「ただ今の御盃(さかづき)はいづくに候ふぞ」と尋ね申されたるに、「新院の御前に候ふ」よし、申されたれば、この御声にて参るべきよし、御気色あれば、新院はかしこまりて候ひ給ふを、一院、御盃と御銚子とを持ちて、母屋(もや)の御簾の中に入り給ひて、一度申させ給ひて後、「嘉辰令月歓無極(かしんれいげつくわんぶきよく)」とうち出で給ひしに、新院、御声加へ給ひしを、「老いのあやにく申し侍らん。われ濁世末の代に生まれたるは悲しみなりといへども、かたじけなく后妃(こうひ)((「后妃」は底本「こよひ」))の位にそなはりて、両上皇の父母(ぶも)として、二代の国母たり。齢(よはひ)すでに六旬(りくじゆん)に余り、この世に残る所なし。たた九品の上なき位を望むばかりなるに、『今宵の御楽(おんがく)は上品蓮台の暁(あかつき)の楽(がく)もかくや』と思え、今の御声は、『迦陵頻伽(かりやうびんが)の御声も、これには過ぎ侍らじ』と思ふに、同じくは今様を一返承りて、今一度聞こし召すべし」と申されて、新院をも内へ申さる。春宮大夫、御簾の際(きは)へ召されて、小几帳引き寄せて、御簾半(はん)に上げらる。   あはれに忘れず身にしむは   忍びし折々待ちし宵   頼めし言の葉もろともに   二人有明の月の影   思へばいとこそ悲しけれ 両上皇歌ひ給ひしに、似るものなくおもしろし。果ては酔(ゑ)ひ泣きにや、古き世々の御物語など出で来て、みなうちしをれつつ立ち給ふに、大井殿の御所へ参らせおはします。御送りとて、新院御幸なり。春宮大夫は心地を感じてまかり出でぬ。若き殿上人二・三人は、御供にて入らせおはします。 [[towazu3-13|<>]] ===== 翻刻 ===== いまそく御まいるほとなる女院御なやみ御あしのけにていたく の御事なけれはめてたき御事にて両院御よろこひの 事あるへしとてまつ一院の御ふん春宮大夫うけ給はる たみゑかきたるわりこ十かうにく御みさかなを入てめむめむ の御まへにをかるつきつきもこの定なりこれにて三こん/s128r k3-30 まいりてのちまかりいたして又しろきく御そののち色々 の御さかなにて九こんまいる大宮の院の御かたへこうはいむら さきはらはねりぬきにてひわそめ物にてことつくりてま いる新院の御かたへほうきやうのたいをつくりてむらさき をまきていろいろのむらこのそめ物を四方につくりて まほりのをにてさけてかねにしてちんのつかにすい しやうを入てはちにしてまいる女房たちのなかへたん し百そめ物なとにてやうやうのつくり物をして をかれおとこのなかにもしりかひいろかはとかやつみをき なとしてをひたたしき御事にて夜もすから御あそひあり れいの御しやくにめされてまいる一院御ひわ新院御ふえ/s128l k3-31 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/128 とう院こと大宮の院姫宮御こと春宮大夫ひわ きんひらしやうのふえかね行ひちりき夜ふけゆく ままに嵐の山の松風雲井にひひくおとすこきに しやうこんかう院のかねここもとにきこゆるおりふし 一院とふろうはをのつからとかやおほせいたされたりしに よろつの事みなつきておもしろくあはれなるに女院 の御かたよりたたいまの御さかつきはいつくに候そとたつね 申されたるに新院の御まへに候よし申されたれはこの 御こゑにてまいるへきよし御けしきあれは新院はかしこ まりて候給を一院御さかつきと御てうしとをもちてもや のみすの中に入給て一と申させ給ひてのちかしん/s129r k3-32 れい月くわんふきよくとうちいてたまひしに新院御 こゑくはへ給しをおいのあやにく申侍らん我ちよく世末 の代にうまれたるはかなしみなりといへともかたしけなく こよひの位にそなはりて両上皇のふもとして二代 の国母たりよはひすてにりくしゆんにあまりこの世に のこる所なしたた九品のうへなき位をのそむはかりなるに こよひの御楽は上品れんたいのあか月のかくもかくやと おほえ今の御こゑはかれうひんかの御こゑもこれにはすき 侍らしとおもふにおなしくはいまやうを一へむうけたまはり ていま一ときこしめすへしと申されて新院をも うちへ申さる春宮大夫御すのきはへめされてこ木丁/s129l k3-33 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/129 ひきよせて御すはんにあけらる あはれにわすれす身にしむはしのひしおりおりま ちしよひたのめしことのはもろともにふたり有明 の月のかけおもへはいとこそかなしけれ 両上皇うたひたまひしににる物なくおもしろしはては ゑいなきにやふるき世々の御物語なと出きてみなうち しほれつつたちたまふにおほいとのの御所へまいらせおはし ます御をくりとて新院御幸なり春宮大夫は心ちを かんしてまかりいてぬわかき殿上人二三人は御ともにてい らせおはしますいと御人すくなに侍に御殿(との)ゐつかうま/s130r k3-34 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/130 [[towazu3-13|<>]]