とはずがたり ====== 巻3 12 神無月のころになりぬればなべて時雨がちなる空の気色も袖の涙に争ひて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu3-11|<>]] 神無月のころになりぬれば、なべて時雨がちなる空の気色も、袖の涙に争ひて、よろづ常の年々よりも、心細さもあぢきなければ、まことならぬ母の、嵯峨に住まひたるがもとへまかりて、法輪((法輪寺))にこもりて侍れば、嵐の山の紅葉も、憂き世を払ふ風に誘はれて、大井川の瀬々に波寄る錦((『新古今和歌集』秋下 藤原長方「飛鳥川瀬々に波寄る紅や葛城山の木枯しの風」。))と思ゆるにも、いにしへのことも公私(おほやけわたくし)忘れがたき中に、後嵯峨の院((後嵯峨院))の宸筆(しんぴつ)の御経の折、面々の姿・捧げ物などまで、数々思ひ出でられて、「うらやましくも返る波かな((『伊勢物語』7段・『後撰和歌集』羇旅「いとどしく過ぎ行く方の恋しきにうらやましくも返る波かな」))」と思ゆるに、ただここもとに鳴く鹿の音(ね)は、誰(た)が諸声(もろごゑ)にかと悲しくて。   わが身こそいつも涙の暇なきに何をしのびて鹿のなくらん [[towazu3-11|<>]] ===== 翻刻 ===== か神無月の比になりぬれはなへて時雨かちなる空の けしきも袖のなみたにあらそひてよろつつねの年々より も心ほそさもあちきなけれはまことならぬははのさかに すまひたるかもとへまかりてほうりんにこもりて侍れは あらしの山の紅葉もうき世をはらふ風にさそはれて 大井川の瀬々になみよるにしきとおほゆるにもいにし へのこともおほやけわたくしわすれかたき中に後さかの 院のしんひつの御経のおりめんめんのすかたささけ 物なとまてかすかすおもひいてられてうらやましくもかへる 波かなとおほゆるにたたここもとになく鹿のねはたか/s127r k3-28 もろこゑにかとかなしくて   我身こそいつもなみたのひまなきに何をしのひて鹿のなくらん/s127l k3-29 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/127 [[towazu3-11|<>]]