とはずがたり ====== 巻2 27 雪の曙は跡なきことを歎きて春日に二七日こもられたりけるが・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu2-26|<>]] 雪の曙((西園寺実兼))は、跡なきことを歎きて、春日に二七日こもられたりけるが、十一日と申しける夜、二の御殿の御前に、昔に変はらぬ姿にて侍ると見て、急ぎ下向しけるに、藤森(ふぢのもり)といふほどにてとかや、善勝寺((四条隆顕))が中間(ちゆうげん)、細き文の箱を持ちて会ひたる。 などやらん、ふと思ひ寄る心地して、人に言はするまでもなくて、「勝倶胝院より帰るな。二条殿の御出家(すけ)はいつ。一定(いちぢやう)とか聞く」と言はれたりければ、よく知りたる人とや思ひけむ、「夜べ、九条より大納言殿((四条隆顕))入らせ給ひて候ひしが、今朝また御使ひに参りて帰り候ふが、御出家のことは、いつとまではえ承り候はず。いかさまにも、御出家は一定げに候ふ」と申しけるに、「さればよ」と嬉しくて、供なる侍(さぶらひ)が乗りたる馬を取りて、これより神馬に参らせて、わが身は昼は世の聞こえむつかしくて、上(かみ)の醍醐に知るゆかりある僧房へぞ立ち入りける。 それも知らで、夏木立ながめ出でて、坊主(ばうず)の尼御前の前にて、せん道((善導・善道・禅道などの説がある。))の御ことを習ひなどしてゐたる暮れほどに、何のやうもなく縁にのぼる人あり。「尼達にや」と思ふほどに、「さやさやと鳴るは装束の音から」と見返りたるに、そばなる明り障子を細めて、「心強くも隠れ給へども、神の御しるべは、かくこそ尋ね参りたれ」と言ふを見れば、雪の曙なり。 「こはいかに」と、今さら胸も騒げども何かはせん。「なべて世の恨めしく侍りて、思ひ出でぬる上は、いづれを分きてか」とばかり言ひて、立ち出でたり。例の、「いづくより出づる言の葉にか」と思ふことどもを言ひ続けゐたるも、げに悲しからぬにしもなけれども、思ひ切りにし道なれば、二度(ふたたび)帰り参るべき心地もせぬを、かかる身のほどにてもあり、誰かはあはれとも言ふべき。「御心ざしのおろかなるにてもなし。兵部卿((四条隆親))が老いの僻みゆゑに、かかるべきことかは。ただ、このたびばかりは、仰せに従ひてこそ」など、しきりに言ひつつ、次の日はとどまりぬ。 善勝寺のとぶらひ言ひて、「これに侍りけるに、思ひがけす尋ね参りたり。見参(げざん)せん」と言ひたり。「かまへて、これへ」と、ねんごろに言はれて、この暮れにまた立ち寄りたれば、「つれづれの慰めに」などとて、九献夜もすがらにて、明け行くほどに帰るに、「ただこのたびは、それに聞き出だしたるよしにて、御所へ申してよかるべし」など、面々に言ひ定めて、雪の曙も今朝立ち帰りぬ。 面々の名残もいと忍びがたくて、「見だに送らん」とて、立ち出でたれば、善勝寺は檜垣に夕顔を織りたる縬(しじら)の狩衣にて、「道こちなくや」などためらひて、夜深く帰りぬ。 今一人((雪の曙))は、入り方の月くまなさに、薄香(うすかう)の狩衣、車したたむるほど、端つ方に出で、主(あるじ)の方へも、「思ひ寄らざる見参も嬉しく」などあれば、「十念成就の終りに、三尊の来迎(らいかう)をこそ待ち侍る柴の庵に、思ひかけぬ人ゆゑ、折々かやうなる御袂にて尋ね入り給ふも、山賤(やまがつ)の光にや思ひ侍らん」などあり。「さても残る山の端(は)もなく尋ねかねて、『三笠の神のしるべにや』と参りて、見しむば玉の夢の面影」など語らるるぞ、住吉の少将((『住吉物語』の主人公。))が心地し侍る。 明け行く鐘も催し顔なれば、出でざまに口ずさみしを、しひて言へれば、   世の憂さも思ひつきぬる鐘の音(おと)を月にかこちて有明の空 とやらん、口ずさみて出でぬるあとも悲しくて、   鐘の音(おと)に憂さもつらさもうちそへて名残を残す有明の月 [[towazu2-26|<>]] ===== 翻刻 ===== 雪のあけほのは跡なき事をなけきてかすかに二七日こも/s95l k2-61 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/95 られたりけるか十一日と申ける夜二の御殿の御まへにむかし にかはらぬすかたにて侍とみていそき下かうしけるに藤の もりといふほとにてとかやせんせう寺か中けんほそきふみ のはこをもちてあひたるなとやらんふと思よる心ちして 人にいはするまてもなくてせう九てい院よりかへるな二条 殿の御すけはいつ一ちやうとかきくといはれたりけれは よくしりたる人とや思けむよへ九条より大納言殿いらせ 給て候しかけさ又御つかひにまいりてかへり候か御すけ の事はいつとまてはえうけ給候はすいかさまにも御すけは 一ちやうけに候と申けるにされはよとうれしくてとも なるさふらひかのりたるむまをとりてこれより神馬に/s96r k2-62 まいらせて我身はひるは世のきこえむつかしくてかみのたい こにしるゆかりある僧はうへそたちいりけるそれもしらて 夏木たちなかめいててはうすのあま御せんのまへにてせん 道の御ことをならひなとしてゐたるくれほとになにのやうも なくゑんにのほる人ありあまたちにやとおもふほとにさやさやと なるはしやうそくのをとからとみかへりたるにそはなるあかり しやうしをほそめて心つよくもかくれたまへとも神の御しる へはかくこそたつねまいりたれといふをみれは雪の明ほの也 こはいかにと今さらむねもさはけともなにかはせんなへて世の うらめしく侍ておもひ出ぬるうへはいつれをわきてかとはかりいひ てたち出たりれいのいつくよりいつることのはにかと思事/s96l k2-63 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/96 ともをいひつつけゐたるもけにかなしからぬにしもなけれと も思きりにし道なれは二たひかへり参るへき心ちもせぬを かかる身のほとにてもありたれかはあはれともいふへき御心さしの おろかなるにてもなし兵部卿かおいのひかみゆへにかかる へき事かはたたこのたひはかりはおほせにしたかひてこそ なとしきりにいひつつつきの日はととまりぬせんせうしの とふらひいひてこれに侍けるにおもひかけすたつねまいり たりけさんせんといひたりかまへてこれへとねんころに いはれてこのくれに又たちよりたれはつれつれのなくさめ になととて九こんよもすからにてあけ行ほとにかへるに たたこのたひはそれにきき出したるよしにて御所へ申てよ/s97r k2-64 かるへしなとめんめんにいひさためて雪のあけほのもけさ たちかへりぬめむめむのなこりもいとしのひかたくてみたにをく らんとてたち出たれはせむせうしはひかきに夕かほををりたる ししらのかりきぬにて道こちなくやなとためらひて夜 ふかくかへりぬいま一人は入かたの月くまなさにうすかうの かりきぬくるましたたむるほとはしつかたにいてあるしのかたへも おもひよらさるけさむもうれしくなとあれは十ねんしやう しゆのをはりに三そんのらいかうをこそまち侍るしはの いほりにおもひかけぬ人ゆへおりおりかやうなる御たもと にてたつね入たまふも山かつのひかりにやおもひ侍らんなと ありさてものこる山のはもなくたつねかねてみかさの/s97l k2-65 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/97 神のしるへにやとまいりてみしむは玉の夢のおもかけなと かたらるるそすみよしの少将か心ちし侍るあけゆくかねも もよほしかほなれは出さまにくちすさみしをしひて いへれは    世のうさもおもひつきぬるかねのをとを月にかこちて有明のそら とやらんくちすさみて出ぬるあともかなしくて    かねのをとにうさもつらさもうちそへて名残をのこす有明の月/s98r k2-66 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/98 [[towazu2-26|<>]]