とはずがたり ====== 巻2 26 卯月の末つかたのことなるになべて青みわたる梢の中に・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu2-25|<>]] 卯月の末つかたのことなるに、なべて青みわたる梢(こずゑ)の中に、遅き桜の、ことさらけぢめ見えて、白く残りたるに、月いと明かくさし出でたるものから、木陰は暗き中に、鹿のたたずみ歩(あり)きたるなど、絵に描きとめまほしきに、寺々の初夜の鐘、ただ今打ち続きたるに、ここは三昧堂続きたる廊(らう)なれば、これにも初夜の念仏近きほどに聞こゆ。廻向して果てぬれば、尼どもの麻の衣(ころも)の姿、いとあはれげなるを見出だして、大納言((四条隆顕))も、さしも思ふことなく誇りたる人の、ことさらうちしめりて、長絹(ちやうけん)の狩衣の袂(たもと)もしぼりぬ。「今は恩愛の家を出でて、真実(しんじち)の道に思ひ立つに、故大納言((作者父、久我雅忠))の心苦しく申し置きしこと、われさへまたと思ふこそ、思ひの絆(ほだし)なれ」など申せば、「われもげに、いとど何をか」と、名残惜しさも悲しきに、薄き単(ひとへ)の袂は、乾く所なくぞ侍りける。 「かかるほどを過ぐして、山深く思ひ立つべければ、同じ御姿にや」など申しつつ、かたみにあはれなること言ひ尽し侍りし中に、「さても、いつぞや、恐しかりし文((有明の月からの手紙。[[towazu2-17|2-17]]参照。))を見し。われ過ごさぬことながら、いかなるべきことにてかと、身の毛もよだちしが、いつしか、御身といひ、身といひ、かかることの出で来ぬるも、まめやかに報ひにやと思ゆる。さても、『いづくにもおはしまさず』とて、あちこち尋ね申されし折節、御参り((主語は有明の月))ありて、御帰りありし御道にて、『まことにや、かくと聞くは』と御尋ねありしに、『行方なく、今日までは承る』と申したりしに、いかか思しけん、中門のほどに立ちやすらひつつ、とばかりものも仰せられで、御涙のこぼれしを、檜扇にまぎらはしつつ、『三界無安、猶如火宅(さんがいむあん、ゆによくわたく)』と口ずさみて出で給ひし気色こそ、常ならん人の、恋し・悲し・あさまし・あはれと申し続けんあはれにも、なほまさりて見え侍りしかば、本尊に向ひ給ふらん念誦も推し量られて」など語るを聞けば、「悲しさ残る((有明の月の歌。[[towazu2-10|2-10]]参照。))」とありし月影も、今さら思ひ出でられて、「などあながちに、かうしも情けなく申しけむ」と悔しき心地さへして、わが袂さへ露けくなり侍りしにや。 「夜明けぬれば、世の中も、かたがたつつまし」とて帰らるるも、「ことあり顔なる朝帰りめきて」など言ひて、いつしか、「今宵のあはれ、今朝の名残、まことの道には捨て給ふな」などあり。   はかなくも世のことわりは忘られてつらさに堪へぬわが袂かな と申したりし。 「げに、憂きはなべての習ひとも知りながら、歎かるるはかやうのことにやと、悲しさ添ひて」など申して、   よしさらばこれもなべての習ひぞと思ひなすべき世のつらさかは [[towazu2-25|<>]] ===== 翻刻 ===== てくるるほとにそたちよりたるう月のすゑつかたの事 なるになへてあをみわたる木すゑの中におそきさくら のことさらけちめみえてしろくのこりたるに月いとあかく さし出たる物から木かけはくらき中にしかのたたすみ ありきたるなとゑにかきとめまほしきにてらてらのしよや のかねたたいまうちつつきたるにここは三まいたうつつき たるらうなれはこれにもしよやのねんふつちかきほとに きこゆゑかうしてはてぬれはあまとものあさのころもの/s94r k2-58 すかたいとあはれけなるをみいたして大納言もさしもおもふ 事なくほこりたる人のことさらうちしめりてちやうけんの かりきぬのたもともしほりぬいまはおんあいのいゑを出て しんしちの道におもひたつにこ大納言の心くるしく申をきし 事われさへ又とおもふこそおもひのほたしなれなと申せは我 もけにいととなにをかとなこりおしさもかなしきに うすきひとへの袂はかはく所なくそ侍けるかかるほとを すくして山ふかくおもひたつへけれはおなし御すかたにやなと 申つつかたみにあはれなる事いひつくし侍し中にさても いつそやおそろしかりしふみをみし我すこさぬ事なから いかなるへき事にてかと身のけもよたちしかいつしか/s94l k2-59 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/94 御身といひ身といひかかる事の出きぬるもまめやかに むくひにやとおほゆるさてもいつくにもおはしまさすとて あちこちたつね申されしおりふし御まいり有て御帰有し 御道にてまことにやかくときくはと御尋ありしに行ゑ なくけふまてはうけたまはると申たりしにいかかおほし けん中もんのほとにたちやすらひつつとはかり物もおほせ られて御涙のこほれしをひあふきにまきらはしつつ三 かいむあんゆによくわたくとくちすさみて出給しけしき こそつねならん人の恋しかなしあさましあはれと申つつけん 哀にも猶まさりてみえ侍しかは本尊にむかい給らん念し ゆもおしはかられてなとかたるをきけはかなしさのこるとあ/s95r k2-60 りし月影も今さらおもひ出られてなとあなかちにかうしも 情なく申けむとくやしき心ちさへして我たもとさへ 露けく成侍しにや夜あけぬれは世の中もかたかたつつ ましとてかへらるるも事ありかほなる朝かへりめきてなと いひていつしかこよひのあはれけさのなこりまことの道には すて給ななとあり    はかなくも世のことはりは忘られてつらさにたへぬ我たもと哉 と申たりしけにうきはなへてのならひともしりなからなけ かるるはかやうの事にやとかなしさそひてなと申て    よしさらはこれもなへてのならひそとおもひなすへき世のつらさかは/s95l k2-61 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/95 [[towazu2-25|<>]]