とはずがたり ====== 巻2 19 かくて如月のころにや新院入らせおはしまして・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu2-18|<>]] かくて如月のころにや、新院((亀山院))入らせおはしまして、ただ御差し向ひ((「御差し向ひ」は底本「御さしりむかひ」。「はしりむかひ」(角川文庫)とする説もある。))小弓(こゆみ)を遊ばして、「御負けあらば、御所の女房たちを、上下みな見せ給へ。われ負け参らせたらば、またそのやうに」と((底本「と」なし。))言ふことあり。この御所((後深草院))、御負けあり。 「これより申すべし」とて、還御の後、資季(すけすゑ)の大納言入道((二条資季・藤原資季))を召されて、「いかが、この式あるべき。珍しき風情、何事ありなん」など仰せられあはするに、正月の儀式にて、大盤所に並べ据ゑられたらんも、余りに珍しからずや侍らん。また一人づつ占相人(うらさうにん)などに会ふ人のやうにて出でむも、異様(ことやう)にあるべし」など、公卿たち面々に申さるるに、御所、「竜頭鷁首(りようとうげきしゆ)の舟を造りて、水瓶を持たせて、春待つ宿の返しにてや((『源氏物語』胡蝶の船遊びを模す。))」と御気色(けしよく)あるを、「舟いしいし、わづらはし」とて、それも定まらず。 資季入道、「上臈八人、小上臈・中臈八人づつを、上中下の鞠足(まりあし)の童(わらは)になして、橘の御壺に木立(きだて)をして、鞠の景気をあらんや、珍しからむ」と申す。「さるべし」と、みな人々申し定めて、面々に上臈には公卿、小上臈には殿上人、中臈には上北面、傅(めのと)に付きて出だし立つ。「水干袴に刀差して、沓(くつ)・襪(したうづ)など履きて、出で立つべし」とてあり((「あり」は底本「ある」))。いと堪へがたし。「さらば、夜などにてもなくて、昼のことなるべし」とてあり。誰かわびざらん。されども、力なきことにて、おのおの出で立つべし。 西園寺の大納言((西園寺実兼))、傅(めのと)に付く。縹裏(はなだうら)の水干袴に、紅(くれなゐ)の袿(うちき)重ぬ。左の袖に沈(ぢん)の岩を付けて、白き糸にして滝を落し、右に桜を結びて付けて、ひしと散らす。袴には岩・堰(いせき)などして、花をひしと散らす。「涙もよほす滝の音かな((『源氏物語』若紫「吹き迷ふ深山おろしに夢覚めて涙もよほす滝の音かな」))」の心なるべし。権大納言殿((女房名))、資季入道沙汰す。萌黄裏(もよぎうら)の水干袴、袖には((「袖には」は底本「袖」なし。))、左に西楼(せいろう)、右に桜、袴((「袴」は底本「はる(か歟)ま」。「る」に「か歟」と傍書。))左に竹結びて付け、右に灯台一つ付けたり。紅の単衣を重ぬ。面々にこの式なり。中の御所の広所(ひろどころ)を、屏風にて隔て分けて、二十四人出で立つさま、思ひ思ひにをかし。 さて、「風流(ふりう)の鞠を作りて、ただ新院の御前ばかりに置かむずるを、ことさら懸(かか)りの上へ上ぐるよしをして、落つる所を袖に受けて、沓を脱ぎて、新院の御前に置くべし」とてありし。みな人、この上げ鞠を泣く泣く辞退申ししほどに、「器量の人なり」とて、女院((東二条院・後深草院中宮西園寺公子))の御方の新衛門督殿を上八人に召し入れて、勤められたりし、これも時にとりてはひびしかりしかとも申してん。さりながら、うらやましからずぞ。袖に受けて御所に置くことは、その日の八人((「八人」は底本「父」))、上首(じやうしゆ)につきて、勤め侍りき。いと晴れがましかりしことどもなり。 南庭(なんてい)の御簾上げて、両院・春宮、階下(かいか)に公卿、両方に着座す。殿上人は、ここかしこにたたずむ。塀の下を過ぎて、南庭を渡る時、みな傅(めのと)ども、色々の狩衣にて、かしづきに具す。新院、「交名(けうみやう)を承はらん」と申さる。御幸、昼よりなりて、九献(くこん)もとく始まりて、「遅し。御鞠、とくとく」と奉行為方((中御門為方))責むれども、「今、今」と申して、松明(しようめい)を取る。やがて、面々のかしづき、紙燭(しそく)を持ちて、「誰がし、御達(ごたち)の局(つぼね)と申して、ことさら御前へ向きて、袖かき合はせて過ぎしほど、なかなか言の葉なく侍り((「侍り」は底本「侍/侍」。衍字とみて削除。))。 下八人より、次第に懸りの下へ参りて、面々の木の本(もと)にゐるありさま、われながら珍らかなりき。まして、上下男(おとこ)たちの興に入りしさまは、ことわりにや侍らん。 御鞠を御前に置きて、急ぎまかり出でんとせしを、しばし召し置かれて、その姿にて御酌に参りたりし、いみじく堪へがたかりしことなり。二・三日かねてより、局々(つぼねつぼね)に伺候して、髪結ひ、水干・沓など着ならはししほど、傅(めのと)たち経営いして、「養ひ君もてなす」とて、かたよりにことどものありしさま、推し量るべし。 [[towazu2-18|<>]] ===== 翻刻 ===== くそ侍しかくてきさらきの比にや新院いらせおはし ましてたた御さしりむかひこゆみをあそはして御まけ あらは御所の女房たちを上下みなみせたまへ我まけま いらせたらは又そのやうにいふ事ありこの御所御まけ ありこれより申すへしとて還御ののちすけすゑの大 納言入道をめされていかかこのしき有へきめつらしきふせ いなに事有なんなと仰られあはするに正月のきしきにて 大はん所にならへすへられたらんもあまりにめつらしからすや侍らん 又一人つつうらさう人なとにあふ人のやうにていてむもことやう にあるへしなと公卿たちめむめむに申さるるに御所れう/s86r k2-42 とうけきしゆの舟をつくりて水かめをもたせてはる まつやとのかへしにてやと御気しよくあるをふねいしいしわつ らはしとてそれもさたまらすすけすゑ入道上らふ八人こ上 らう中らう八人つつを上中下のまりあしのわらはになして たちはなの御つほにきたてをしてまりのけいきをあら んやめつらしからむと申さるへしとみな人々申さため てめむめむに上らふにはくきやうこ上らふには殿上人中 らふには上北めんめのとにつきていたしたつすいかんはかま にかたなさしてくつしたうつなとはきて出たつへしとて あるいとたへかたしさらはよるなとにてもなくてひる の事なるへしとてありたれかわひさらんされともちから/s86l k2-43 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/86 なき事にてをのをの出たつへしさいをん寺の大納言めのと につくはなたうらのすいかんはかまにくれなゐのうちきか さぬ左の袖にちんのいはをつけてしろきいとにして たきをおとし右にさくらをむすひてつけてひしと ちらすはかまにはいはいせきなとして花をひしとちらす 涙もよほすたきの音かなの心なるへし権大納言殿すけ すゑ入道さたすもよきうらのすいかんはかまには左に せいろう右に桜はる(か歟)まひたりにたけむすひてつけ右に とうたい一つけたり紅のひとへをかさぬめむめむにこの しきなり中の御所のひろ所をひやうふにてへたてわけて 廿四人出たつさまおもひおもひにおかしさてふりうのまりをつく/s87r k2-44 りてたた新院の御まへはかりにをかむするをことさらかか りのうへへあくるよしをしておつる所をそてにうけてくつ をぬきて新院の御まへにをくへしとて有しみな人この あけまりをなくなくしたい申しほとにきりやうの人なりとて 女院の御かたの新衛門督殿を上八人にめし入てつとめ られたりしこれも時にとりてはひひしかりしかとも申てん さりなからうらやましからすそ袖にうけて御所にをく事 はその日の父上しゆにつきてつとめ侍きいとはれかまし かりし事ともなりなんていの御すあけて両院春宮 かいかに公卿両方にちやく座す殿上人はここかしこにたた すむへいのしたを過てなむ庭をわたる時みなめのととも色々/s87l k2-45 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/87 のかりきぬにてかしつきにくす新院けうみやうをうけた まはらんと申さる御かうひるよりなりて九こんもとくはし まりてをそし御まりとくとくと奉行ためかたせむれとも いまいまと申てせうめいをとるやかてめむめむのかしつきしそく をもちてたれかしこたちのつほねと申てことさら御まへへ むきて袖かきあはせてすきしほとなかなかことのはなく侍 侍下八人よりしたいにかかりの下へまいりてめむめむの木の本 にゐるありさまわれなからめつらかなりきまして上下おと こたちのけうに入しさまはことはりにや侍らん御まりを御 まへにをきていそきまかり出んとせしをしはしめしをか れてそのすかたにて御しやくにまいりたりしいみしく/s88r k2-46 たへかたかりし事なり二三日かねてよりつほねつほねにしこう してかみゆひすいかんくつなときならはししほとめのと たちけいゑいしてやしなひきみもてなすとてかたよりに 事ともの有しさまをしはかるへしさるほとに御ねたみ/s88l k2-47 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/88 [[towazu2-18|<>]]