とはずがたり ====== 巻2 13 まことや明け行くほどに資行が申し入れし人は何と候ひしそらと申す・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu2-12|<>]] まことや、明け行くほどに、「資行((山科資行))が申し入れし人は、何と候ひしそら」と申す。「げに、つやつや忘れて。見て参れ」と仰せあり。起き出でて見れば、はや日ざし出づるほどなり。 角(すみ)の御所の釣殿の前に、いと破れたる車、夜もすがら雨に濡れにけるもしるく、濡れしほたれて見ゆ。「あなあさまし」と思えて、「寄せよ」と言ふに、供の人、門の下よりただ今出でてさし寄す。見れば、練貫(ねりぬき)の柳の二つ衣((「二つ衣」は底本「二花」。衣の脱字とみて「二衣の花」と読む説もある。))の絵描きそそきたりけるとおぼしきが、車漏りて、水にみな濡れて、裏の花、表へ通り、練貫の二つ小袖へ移り、さま悪しきほどなり。夜もすがら泣き明かしける袖の涙も、髪は、漏りにやあらん、また涙にや、洗ひたるさまなり。 「このありさま、なかなかに侍り」とて降りず。まことに苦々しき心地して、「わがもとに、いまだ新しき衣(きぬ)の侍るを着て参り給へ。今宵しも大事のことありて」など言へども、泣くよりほかのことなくて、手をすりて、「帰せ」と言ふさまもわびし。夜もはや昼になれば、まことにまた何とかはせんにて、帰しぬ。 このよしを申すに、「いとあさましかりけることかな」とて、やがて文つかはす。御返事はなくて、「浅茅(あさぢ)が末にまどふささがに((『源氏物語』賢木「風吹けばまづぞ乱るる色変はる浅茅が露にかかるささがに」))」と書きたり。硯の蓋(ふた)に縹(はなだ)の薄様に包みたる物ばかりすゑて参る。御覧ぜらるれば、「君にぞまどふ((『源氏物語』浮舟「峰の雪みぎはの氷踏み分けて君にぞまどふ道はまどはず」))」と、彩(だ)みたる薄様に、髪をいささか切りて包みて、   数ならぬ身の世語りを思ふにもなほくやしきは夢の通ひ路(ぢ) かくばかりにて、ことなることなし。「出家(しゆけ)などしけるにや。いとあへなきことなり」とて、たびたび尋ね仰せられしかども、つひに行き方知らずなり侍りき。 年多く積りて後、河内の国、更荒寺(さらじ)といふ寺に、五百戒の尼衆(にしゆ)にておはしけるよし、聞き伝へしこそ、まことの道の御しべ、憂きは嬉しかりけむと推し量られしか。 [[towazu2-12|<>]] ===== 翻刻 ===== ふれはかへるさの袖のうへもおもひやられてまことやあけ行 ほとにすけ行か申入し人はなにと候しそらと申けにつやつや 忘てみてまいれとおほせありおきいててみれははや日さし いつるほとなりすみの御所のつりとののまへにいとやふれたる くるま夜もすから雨にぬれにけるもしるくぬれしほたれ てみゆあなあさましとおほえてよせよといふにとも の人もんのしたよりたたいまいててさしよすみれはねり ぬきのやなきの二花のゑかきそそきたりけるとおほし きか車もりて水にみなぬれてうらのはなおもてへとをり ねりぬきの二小袖へうつりさまあしきほとなりよもすから/s80l k2-31 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/80 なきあかしけるそてのなみたもかみはもりにやあらん又なみた にやあらひたるさまなりこの有さま中々に侍とておりすま 事ににかにかしき心ちして我もとにいまたあたらしききぬの 侍るをきてまいり給へこよひしも大事のこと有てなといへ ともなくよりほかの事なくて手をすりてかへせといふ さまもわひし夜もはやひるになれはまことに又なにとかはせん にてかへしぬこのよしを申すにいとあさましかりける事かな とてやかて文つかはす御返事はなくてあさちか末にまとふささ かにとかきたりすすりのふたにはなたのうすやうに つつみたる物はかりすへてまいる御らんせらるれはきみにそ まとふとたみたるうすやうにかみをいささかきりて/s81r k2-32 つつみて    数ならぬ身の世かたりをおもふにも猶くやしきは夢のかよひち かくはかりにてことなる事なししゆけなとしけるにやいと あえなき事なりとてたひたひ尋ねおほせられしかとも つゐにゆきかたしらすなり侍きとしおほくつもりてのち かはちのくにさらしといふ寺に五百かいのにしゆにておはし けるよしききつたえしこそまことの道の御しるへうきは うれしかりけむとをしはかられしかさても有明の月/s81l k2-33 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/81 [[towazu2-12|<>]]