とはずがたり ====== 巻2 5 さてもさてあるべきことならずとて隆顕のもとより・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu2-04|<>]] さても、「さて、あるべきことならず」とて、隆顕((四条隆顕))のもとより、「かかる不思議のことありて、おのおの咎(とが)贖(あが)ひ申して候ふ((「候ふ」は底本「は」。))。いかが候ふべき」と、言ひつかはしたる返事に、 「さること候ふ。二葉(ふたば)にて母には離れ候ひぬ。父大納言((久我雅忠))、不憫(ふびむ)にし候ひしを、いまだ襁褓(むつき)の中と申すほどより、御所に召し置かれて候へば、『私(わたくし)に育ち候はんよりも、ゆゑあるやうにも候ふか』と思ひて候へば、さほどに物おぼえぬいたづら者に、御前にて生ひ立ち候ひけること、つゆ知らず候ふ。君の御不覚とこそ思えさせおはしまし候へ。上下を分かぬ習ひ、また御目をも見せられ、参らせ候ふにつきて、甘へ候ひけるか。それも私(わたくし)には知り候はず。恐れ恐れも、咎は上つ方より御使(つかひ)を下され候はばやとこそ思ひて候へ。全(また)くかかり候ふまじ。雅忠などや候はば((「候はば」は底本「候つつ」。))、不憫のあまりにも贖ひ申し候はん。わが身には不憫にも候はねば、『不孝(ふけう)せよ』の御気色ばし候はば、仰せに従ひ候ふべく候ふ」 よしを申さる。 この御文を持ちて参りて、御前にて披露するに、「久我の尼上が申状(まうしじやう)、一旦(いたん)そのいはれなきにあらず。御所にて生ひ立ち候ひぬる、出で所をこそ申して候ふといふこと、申すに及ばず候ふ。また、三瀬川((三途の川))をだに負ひ越し候なるものを」など申さるるほどに、「とは何事ぞ。わが御身の訴訟にて贖はせられて、また御前に御贖ひあるべきか」と仰せあるに、「上(かみ)として咎ありと仰せあれば、下(しも)としてまた申すも、いはれなきにあらず」と、さまざま申して、また御所に御つとめあるべきになりぬ。御事は経任((中御門経任))承る。御太刀一つづつ公卿たち賜はり、経衣一具づつ女房たち賜はる。 をかしくも、たへがたかりしことどもなり。 [[towazu2-04|<>]] ===== 翻刻 ===== 名したへこうはいなとのたんし百さてもさてあるへき 事ならすとてたかあきのもとよりかかるふしきの事/s70l k2-11 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/70 有てをのをのとかあかい申てはいかか候へきといひつかはし たる返事にさる事候ふた葉にてははにははなれ候ぬ ちち大納言ふひむにし候しをいまたむつきのなかと申 ほとより御所にめしをかれて候へはわたくしにそたち候はん よりもゆへあるやうにもさふらふかとおもひて候へはさほとに物 おほえぬいたつら物に御前にておいたち候ける事つゆしら す候君の御ふかくとこそおほえさせおはしまし候へ上下をわ かぬならひ又御めをもみせられまいらせ候につきてあまへ 候けるかそれもわたくしにはしり候はすおそれおそれもとかは かみつかたより御つかひをくたされ候ははやとこそおもひて候へ またくかかり候まし雅忠なとや候つつふひむのあまり/s71r k2-12 にもあかい申候はん我身にはふひむにも候はねはふけうせ よの御気色はし候ははおほせにしたかひ候へく候よしを申 さるこの御ふみをもちてまいりて御前にてひろうするに 久我あまうへか申状いたんそのいはれなきにあらす御所に てをいたち候ぬるいて所をこそ申て候といふ事申にを よはす候又みつせ河をたにおひこし候なる物をなと 申さるるほとにとはなに事そ我御身のそせうにてあか はせられて又御前に御あかい有へきかとおほせあるに上として とかありとおほせあれはしもとして又申もいはれなきに あらすとさまさま申て又御所に御つとめあるへきに成ぬ御事は つねたううけ給はる御太刀一つつ公卿たちたまはり/s71l k2-13 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/71 経衣一くつつ女房たち給はるをかしくもたへかたかりし 事ともなりかくてやよひのころにもなりぬるにれいの後白/s72r k2-14 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/72 [[towazu2-04|<>]]